全英初優勝。マレーに欠けていた「最後のピース」を埋めたレンドルの言葉 (2ページ目)

  • 神 仁司●取材・文 text by Ko Hitoshi photo by Ko Hitoshi

  そのひとりが、ティム・ヘンマン。イギリスの男子テニスは、1990年代まで長年不振に陥っていたが、それを打破したのが、1996年頃からワールドツアーで活躍し始めたヘンマンだった。世界ランク4位まで駆け上がった彼は、イギリス国民の期待を一身に背負ってウインブルドンに出場。ただ、4回(98、99、01、02年)準決勝に進出したものの、大願成就はならなかった。

 そのヘンマンは、マレーの才能を早くから認めていた。ある大会では、初戦で負けたヘンマンがその場に留まり、準決勝に進出したマレーの練習に付き合うこともあった。そんな面倒見のいい先輩の背中を見ながら、マレーはツアーで成長を遂げていったのだ。

 07年にヘンマンが引退してからは、今度はマレーがイギリス中から大きな期待を背負うことになった。

「ここ4、5年は、本当にタフだった。ストレスが多く、たくさんのプレッシャーがあった。ウインブルドンの数日前は、本当に大変だった」

 プロになりたての頃のマレーは、190cmの細身で、緩急を巧みに操り、得意のバックハンドのカウンターショットでポイントを奪うプレイスタイルだった。だが、それだけでは勝てないと悟ったマレーは、フィジカルの向上を目指した。07年の年末からフィットネストレーナーを付けてツアーに帯同させ、オフシーズンにはマイアミ大学の施設でみっちりトレーニングを積んで、トラックでのランニングも積極的にこなした。

 そして、体力がつくことで自信が深まり、試合中に対戦相手を観察する余裕も生まれた。技術面では、サーブとフォアハンドがパワフルになり、エースを奪えるようにもなった。

 テニスがレベルアップしていくと、マレーはフェデラーやラファエル・ナダルにも勝てるようになり、ATPツアーの数々の大会で優勝。"ビッグ4"のひとりとして数えられるようになった。だが、グランドスラムの決勝で4連敗するなど、メジャータイトルにはどうしても手が届かなかった。

 そんなとき、マレーは、自分自身に欠けている最後のワンピースを埋めるためのもうひとりのキーパーソンと出会う。2012年1月から、かつての世界ナンバーワン、イワン・レンドルをツアーコーチにつけたのだ。

 レンドルは常に、敗戦からより多くのことを学ばせようとしていた。そして、昨年のウインブルドン決勝で負けた時のレンドルの言葉が、マレーの心に深く刻まれた。

「チャンス時の僕のプレイぶりを『誇りに思う』とイワンは話してくれた」

 我慢強く、正直に、マレーと向き合い続けるレンドルコーチによって、マレーの中で何かが変わっていった。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る