復帰6年目。クルム伊達が日本代表から外れた本当の理由

  • 神 仁司●取材・文 text by Ko Hitoshi  photo by Ko Hitoshi

「(クルム伊達へ)打診はしませんでした。いつまでも伊達に頼っていたら、日本の女子テニスの先はないなと。森田の成長も大きかった。負け惜しみになるかもしれませんが、後悔はありません」(村上監督)

 2010年、14年ぶりに日本代表へ復帰したクルム伊達は、森田と共にチームの中心となって戦い、日本をアジア/オセアニアゾーンIから、ワールドグループIIへ、そしてワールドグループへ昇格させた。

 普段ワールドツアーでの個人戦を戦うクルム伊達は、勝つのも負けるのも自らの責任という高いプロフェッショナルの意識を持っている。だが、日本チームの明確な強化の方向性を示せない監督やコーチの意識が、選手たちのプロ意識の高さとバランスがとれていないことに、やや違和感を覚えていた。

 結局、ただでさえオフが少ない個人戦の過密スケジュールの合間をぬってフェド杯に出場することの難しさを考慮して、クルム伊達は日本代表に別れを告げた。このタイミングで、クルム伊達が代表を離脱したことが本当によかったのか。それは、14年の"ニュー村上ジャパン"の再出発を見てから判断しなければならないだろう。

 また、仮にクルム伊達の代表辞退がなくても、今回彼女はプレイオフでは戦えなかったかもしれない。4月上旬から腰を痛め、MRIの結果、軽い肉離れと診断されていたからだ。

「(4月末の岐阜大会へ)出られないかな」と思っていたというクルム伊達(WTAランキング75位、大会時)だったが、今年もWTAツアー下部のITF岐阜大会「カンガルーカップ国際女子オープン2013」に出場することを決めた。

 この大会は、08年に、クルム伊達が37歳で現役再チャレンジの第一歩を踏み出した思い出深い大会で、昨年は第1シードとして出場し、見事初優勝している。

 今年も初戦を突破したクルム伊達だったが、11年全豪ジュニアのシングルスで優勝したアンソフィー・メスタチとの2回戦で、クルム伊達の腰が悲鳴をあげた。不意をつかれて逆をつかれる場面などで特に痛んだといい、苦戦を強いられた。

 さらに、気温20度に届かない季節外れの寒さと吹き荒れる冷たい風が、タイミング重視のプレイスタイルであるクルム伊達に追い討ちをかけた。結局、3-6、0-4の時点で、クルム伊達がリタイアを申し出て、大会2連覇は実現しなかった。

「とにかく万全ではなかった、ということに尽きます。普段のWTAツアーから比べれば、レベルは少し下がるけど、ITFのタフさは、どの国でもどの大会でもあるので、やっぱり5回勝ち抜くことは簡単ではない。トーナメントの大きさに関わらず、1週間を戦い抜くことは難しい。簡単に勝てるとは思っていませんでしたが、来るからには最低決勝という目標を持っていました。だけど、そこに行き着くまでの万全な体がなかった」

 2008年の岐阜から始まった現役再チャレンジは、丸5年が経過し、42歳で再び始まりの地に戻って来られたことにクルム伊達は、感慨深げだった。

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