【車いすテニス】国枝慎吾「リオパラリンピックまで一年一年、勝ち続けたい」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真(人物) text&photo by Araki Miharu
  • 吉村もと●写真(試合) photo by yoshimura Moto

恩師・丸山コーチとの別れと再出発

――丸山コーチが11月から名古屋のテニスクラブに行かれることになりました。ロンドン五輪前にそれを聞いたときどう思われましたか?

「コーチ自身はここ何年も考えていたことでしたし、全部決めてから僕に話してくれました。だから納得はしました」

――それで気持ちが引き締まったというのは?

「気持ちはさらに強くなりましたね。これでパラに出ずに終わったり、出てもすぐに負けたりとかは絶対にできなくなりましたから、「必ず有終の美を飾らないと終われないね」って言ったのを覚えてます。コーチはそんなつもりはなかったと思いますけど、僕としてはそう感じました。ロンドンに入ってからも、「もうこれがラストだから」って、そう思ってました」

――ひとまず別の道を歩むことになるわけですが、丸山コーチの存在の大きさを感じる時はありますか?

「いやー、これから感じるんじゃないですかね。やっぱりツアーを回っていくなかで、アドバイスを求めたいときがあるかもしれない」

――ロンドンのあと、「コーチとは離れるけど、自分で自分のコーチングはできる」とおっしゃっていました。具体的にはどういう意味ですか?

「チェックポイントは自分でだいたい分かっていますし、ノートにもいろいろ書いてあります。ロンドン前にひとりで一カ月間のヨーロッパ遠征に行った時も、全部自分でチェックポイントを見つけて調整していましたから。そういう意味では、自分自身でコーチングすることは可能だと考えています」

――何をコーチに求めるか、ということですね。

「たぶん技術的にはもう大幅には変わらないし、プレイスタイルもそんなに大幅に変わらない。ただ、ショットのポイント、たとえばちょっと肩が下がっているとか、客観的にそういうのを指摘してくれる人が必要かなと思いますね。これから新しいコーチとも、そういった関係を築いていきたいなと思っています」

――ロンドンの優勝記者会見の時に4年後のことを尋ねられて、「まだ答えが出ていない」とおっしゃっていました。でも、帰国後の報告会では「リオを目指す」と公言されましたね。ご自身のなかでどんな変化があったのでしょう?

「まだまだプレイをしていたい、と思ったのが一番かな。やっぱり肘の調子もいいし、本当に思い切って振りきれる。思い切って打てている時期なので、しばらくはこの状態でプレイをしていたいですね」

――手術後、ラケットを握れない間、フィジカルを限界まで鍛えたことでパワーが増しました。そうした実感が背中を押したのでしょうか。

「そうですね。もっとできるかなと思って、今また週2くらいでJISS(国立スポーツ科学センター)にフィジカルトレーニングに通ってるんですよ。結構いい感じに変わっていくのを実感しています。今は下部の腹筋とか、股関節周りを意識して鍛えていて、体幹がブレないというか、安定性が出てきたなというのをプレイしていても感じます。楽しみですね。これからも、"貯金"を作っていきたいと思っています」

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