【部活やろうぜ!】堀江翔太がバスケを辞めてラグビーを選んだ理由「周りの子を吹っ飛ばして気持ちよくなって」 (3ページ目)
【異名は「南千里中の堀江」】
中1まではなかなか評価されなかったが、やがてラグビーで培ったコンタクトの強さ、運動能力を発揮していく。
「ラグビー、めっちゃ生きましたね。(バスケのポジションは)センターをやっていて、とりあえずコンタクトは怖くなかったです。身長はそんなに高くなかったですけど、体の当て具合でリバウンドも取れたんで。中2、中3ぐらいには、ちゃんとしたメンバーになってました」
初めは厳しく指導された堀江も、最終学年のころにはのびのびとプレーするようになった。
「中3の時にバスケ専門の平山先生という方が監督になって、そこで基本をめっちゃ教わりました。背面パスやノールックパスとかも、平山先生は許してくれましたね。負けそうな試合でも平山先生が選手を集めてホワイトボードを使いながら『こうしましょう』と言ったら、一気に勝ったりしていました」
めきめきと頭角を現し、やがて「南千里中の堀江」の異名を取るようになったという。
「なんか知れ渡ってました(笑)。ちなみにバスケットボール元日本代表の竹内ツインズ(竹内公輔・譲次兄弟)と同じ地区やったんです。僕は彼らの1個下なんであんまり接点はなかったですけど、一緒にやったことはあります」
こうしてバスケットボールの才能を一気に開花させた堀江だが、心のなかには常にラグビーがあった。
「周りから『高校、どこ行くねん?』って言われて、高校ではラグビーやるんでって答えたら、『ええ!? もったいない』ってよく言われてました。私立高校からも『推薦で来ないか』って言われていたんです。それだけはちょっと自慢しておきたいです(笑)。
こうして大人になって、いざ教える立場になると『ああ、そこそこの選手やったんやな』って思いますね。ただ、もし最初にバスケを始めていたら、そのままバスケをやっていたでしょうね。(ラグビーと)紙一重でした」
ラグビーとバスケットボールに出会う順番が逆だったら、今の堀江翔太はなかったかもしれない。だが、それほど情熱を注いだバスケットボールを辞めて、高校ではラグビーに本格復帰するという当初からの決意は、なぜ最後まで揺るがなかったのか。
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