「五郎丸ポーズが大ブーム」になったからこそ感じた孤独。五郎丸歩は違和感を覚えていた (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

---- エディー・ジャパン時代から交流がある選手は誰ですか?

「2012年の日本代表合宿で一緒に筋トレしてから仲良くなったトシさん(廣瀬俊朗)と立川(理道/クボタ)ですね。引退を決意した時もグループラインで連絡しました。トシさんからは『やっと、こっちに来るな。ちょっと寂しい気持ちはあるけど、次のステップをお互い楽しもう!』と返信をいただきました。

 一方、立川には『まだまだ引退は早いし、日本のラグビーを変えないといけないポジションにいるから、立川らしくがんばれよ!』と伝えました。誰がヘッドコーチをやるか、誰に出会うかで、人生は大きく変わります。僕もエディー(・ジョーンズ)じゃなかったらW杯に出ていなかったと思います」

---- 五郎丸さんはセカンドキャリアとして、7月からヤマハ発動機ジュビロが創設するプロクラブ「静岡ブルーレヴズ」のスタッフとして働くことに決めました。その決断に至った経緯を教えてください。

「包み隠さずに言うのであれば......2015年W杯での戦いを終えて帰国し、あの盛り上がりからわずか1カ月後にトップリーグが開幕した時、チケットは完売しているのにスタンドにお客さんがいなかった。あれはラグビー界の収益構造の問題です。

 今はだいぶ改善されてきましたが、秩父宮ラグビー場のトイレが汚いとか、明らかにファン目線ではない環境もありました。日本のラグビーを盛り上げるために必死になってがんばってきたわけですけど、ファンの方々に恩返しできるような場が作れていなかったんです。

 2019年W杯が終わってからも、満足できる環境はまだ整っていなかった。そういうことを考えた時、強い思いを持った人たちがマネジメント側でしっかりとラグビー界を変えていかなければいけないと。そういう先駆者的な立場となって、これからラグビーに関わっていきたい。それが僕の思いです。

そんな折、来年から新リーグが創設されることになり、環境を変えていかないといけないタイミングと僕の引退がちょうど重なった。単純に静岡、ヤマハ発動機が好きだったこともあります」

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