入試直前まで花園で戦った浦和高ラグビー部員は、その後どうなった? (5ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文  text by Kadowaki Masanori
  • photo by Sportiva


 今年度から、三宅先生は浦高ラグビー部の監督を退き、ラグビー部全体を裏側からサポートしていく部長になる。後任には二人三脚で花園を戦ってくれた山本義明先生が就き、コーチングの精度を上げながら、今回のベスト16を超えるさらなる高みを目指していこうとしているのだ。

 そして、松永君も吉村君も、こうした三宅先生のコーチングから浦高の「守・破・離」を学び、全力で取り組んでいくことで、独り立ちして歩み出していけるようになった。それは、現在の浪人生活でも活かされている。吉村君が言う。

「花園は本当にうれしかったです。3年間の苦労が報われましたし、僕もうれしかったですし、いろんな人たちも喜んでくれました。でも、受験は自分との戦いになるんです。だから、自分の喜びのために、まずは勉強していきたいと思っています」

 さらに、吉村君はこう付け加えてくれた。

「まだ、僕は浦高の文武両道の結果を出していません。現役時代、『文』では何も成し遂げてないですし、『文』はこれからになるんです。浪人して、東大に合格してはじめて、文武両道が成し遂げられると思っているんです」

 松永君も、この点では吉村君と同じ考えになる。

「現役では『武』ばっかりだったので、浪人してようやく『文』が始まったばかりになるんです。でも、勉強もラグビーと同じで、ひとつずつ、1個ずつ攻めていきたいですね。浪人という『文』の1年に集中していければ......と」

 すでに松永君は、その先にある夢にも想いを馳せている。

「1年後、早大のラグビー部に入ります。小さい頃からの夢だった赤黒のジャージを着て、新しくなった国立競技場のフィールドに立ちたいと思っているので!」

 文武両道は高校で終わるものではない。

 浪人しても、大学に入ってからも、社会に入ってからも、これからの人生でいつまでも糧になっていくものなのである。

 それが、浦高ラグビー部の「文武両道」というものなのだ。

(門脇そら●協力)

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