入試直前まで花園で戦った
浦和高ラグビー部員は、その後どうなった?

  • 門脇 正法●取材・文  text by Kadowaki Masanori
  • photo by Sportiva


 一方、現役合格は果たせなかったものの、花園が終わってからセンター試験を経て、国公立大学の2次試験までの40日間の短期決戦で「文」に手応えを感じたのが、11番のWTB(ウイング)として花園でも活躍した吉村幸輔君だ。

「浦高の時のモチベーションは花園に出場することだったんですよ。それが達成できた後、今度は受験に切り替えていくことになるんですが、正直、ラグビーと勉強を両立していた時よりも楽でした。このまま現役で東大に行けるんじゃないかなと思ったんですが、最後は追い込み切れなかった。どこかに甘えがあったんでしょうね」

 新型コロナウイルスの影響と緊急事態宣言の発令により、これまでとはまったく違った状況でスタートした浪人生活。この期間、2人とも予備校に通って授業を受けることはできず、ずっと家で動画授業を見ながら勉強する日々が続いていた。

 ともすれば易きに流れていってしまいそうななか、松永君はそうした状況をプラスと捉え、これまでラグビーという「武」に傾けていたものを、今自分がやるべき「文」に100パーセント傾けることにした。同様に、吉村君は本来なら予備校に通うはずだった往復の時間でさえも家で勉強できるチャンスと発想を転換、どうすればそこで質の高い時間を過ごしていけるのか、自身を律しながらタイムマネジメントしていった。

 そんな2人に共通するのが、現役時代、浦高ラグビー部で三宅先生のコーチングにより培われてきた「守・破・離」(しゅ・は・り)という浦高の教育方針なのである。

生徒たちに考えさせるラグビー指導で結果を出した三宅邦隆先生生徒たちに考えさせるラグビー指導で結果を出した三宅邦隆先生
 もともと「守・破・離」とは、茶道や武道などの道を究めようとする世界における師弟関係の修習のプロセス、つまり、最初、弟子は師匠から教わった型を自分のものとするまで守り、次に、その身につけた型を自ら考えることで破り、最後は、型から離れ、自由自在な存在になるプロセスをあらわす言葉になる。

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