松島幸太朗も果たせなかった夢。桐蔭学園、初の花園単独優勝なるか (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 小学校4年時からラグビーに専念した理由を、伊藤はそう振り返る。なお、中学時代に柔道48kg級で全国2位となった姉・優希は筑紫高に進学してからラグビーを始め、現在は三重パールズでプレーしながら女子7人制ラグビー日本代表候補として東京五輪を目指している。

 中学から筑紫丘ラグビークラブジュニアスクールに移った伊藤は、中学3年時に太陽生命カップのスクールの部で全国優勝を果たす。さらに福岡県選抜として全国ジュニア大会でも準優勝し、チームの中心として活躍した。

 当然、伊藤には地元・福岡の高校など多くのラグビー強豪校から声がかかった。だが、伊藤は新たな遠い地を選ぶ。

「先輩たちのプレーをテレビで見て憧れていました。日本代表になるなら桐蔭学園でやったほうがいいと信じて入学しました」

 1年前に姉の優希が日体大に入学し、父親の海外赴任も後押しとなり、伊藤は進学とともに家族で神奈川県に移り住んだ。

 高校生になった伊藤は、1年生でFB、2年でアウトサイドCTB、そして今年からSOを経験している。

「桐蔭学園に入って、練習でも自分からアイデアを持ってプレーするようになりました。また、複数のポジションを経験したことでいろんな選手の気持ちもわかるようになり、いろんなスキルが伸びました」

 桐蔭学園の練習は基本的なドリルが中心だが、コーチが声を荒げて何かを指示されることはほとんどない。選手たち自らが判断して指摘しあう、桐蔭学園の文化が伊藤に合っていたという。

 今シーズン、伊藤にとって大きな転機となった試合がある。それは春の選抜大会の準々決勝、2010年度の花園で引き分けて両校優勝となったライバルの東福岡(福岡)戦だ。伊藤は右親指の負傷から復帰したばかりということもあり、予選リーグであまり調子が出ず、藤原監督に活を入れられたという。

「昨年度のチームと同じでは勝てない。やり方を変えないといけない。相手を分析することは一切せず、それよりも自分たちの強みとは何か......」

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