ジェイミー・ジャパン、4年間の軌跡。不協和音も乗り越え強くなった (4ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 一方、ジョセフHCらコーチ陣たちは、1年後に向けての計画を立てていた。2015年からラグビー漬けだった選手たちの心身を考慮し、2018年は12月中旬でトップリーグが終わるように調整して、2019年1月末までオフを取らせた。そして2月からは、ワールドカップに向けて250日にわたる合宿をスタートさせた。

 その合宿ではまず、タックルやオフロードパスなどの基本プレーを徹底的にやりこんだ。また、特別編成チーム「ウルフパック」を立ち上げ、スーパーラグビーのBチームと国内外で6試合行なうなど、選手選考を進めながらチームの強度も徐々に上げていった。

 同時に、この頃には強固なリーダーシップグループも確立させた。リーチ主将を筆頭に、PR稲垣啓太(パナソニック)、FL/No.8(ナンバーエイト)姫野和樹(トヨタ自動車)、FLピーター・ラブスカフニ(クボタ)、流、SH田中史朗(キヤノン)、SO(スタンドオフ)田村優(キヤノン)、中村、CTBラファエレ ティモシー(神戸製鋼)、WTB(ウィング)松島幸太朗(サントリー)といったリーダーたちにチームの舵取りを任せた。

 6月からの宮崎合宿では、「エディー・ジャパン時代より大変だった」「人生で一番きつかった」と選手たちから声が漏れるほどのハードトレーニングを敢行。第1クールと第2クールは朝・昼・夜で練習を行なうなど、心身ともに徹底的に鍛え込んだ。とくに選手たちが苦しそうだったのは、40分ほどアタック&ディフェンスを続け、ボールを動かしながら1試合以上の距離を走り続ける練習だった。

 そして第3クールからは、選手たちは「グローカル」と呼ばれる小人数のミーティングを繰り返し、現状や今後の課題を話し合った。このミーティングを重ねたことで、「ONE TEAMになった」と感じた選手も多い。この頃になると、コーチから大枠の指示を受けたあとは選手たちだけで話し合い、自身で問題を解決する「大人のチーム」へと変貌を遂げていた。

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