ジェイミー・ジャパン、4年間の軌跡。不協和音も乗り越え強くなった (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

「4つのユニットをフィールドいっぱいに配置してスペースを攻める」「3次攻撃くらいで攻撃にモメンタム(勢い)が出なければ、キックを蹴ってアンストラクチャー(崩れた状態)に持っていく」

 これらのスタイルは、就任当初からW杯までジェイミー・ジャパンの基本プランとなった。

「(セットプレーなどの)ストラクチャー(整った状態)からのアタックはうまくプレーするが、アンストラクチャーになると手こずる部分があった」

 ジョセフHCがそう振り返るように、まずは苦手な部分から取り組んだ。こうして、キックを蹴りたがらない、オフロードパスをしたがらない日本人選手たちに、「チャレンジする意識」を植えつけていった。

 2016年11月、ジェイミー・ジャパンの初陣となったアルゼンチン代表戦は大敗。しかし、その後のアウェー戦ではジョージア代表に勝利し、ウェールズ代表とも最後まで接戦を演じる。前に出るディフェンス、キックを主体にした新しい戦い方に手応えを感じた内容だった。

 2年目の2017年春は、主力選手がサンウルブズでスーパーラグビーを戦う一方、ジョセフHCは若手中心でアジア選手権に臨み、選手たちの育成を図った。

 そのメンバーのなかには、HO(フッカー)坂手淳史(パナソニック)、PR(プロップ)具智元(グ・ジウォン/ホンダ)、SH(スクラフハーフ)流大(ながれ・ゆたか/サントリー)、CTB(センター)中村亮土(サントリー)といったメンバーがいた。とくに流は代表キャップゼロながらキャプテンに指名されるなど、練習からリーダーシップを発揮していたことが高く評価された。

 2017年6月には、しばらくチームから離れていたFL(フランカー)リーチ マイケルが日本代表に復帰。だが、準備期間が短かったことも響き、アイルランド代表には2連敗となる。さらに、同年秋に行なわれた世界選抜やオーストラリア代表にも黒星を喫したが、トンガ代表には勝利し、フランス代表には引き分け。世界の強豪とも十分に戦える姿を見せた。

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