「笑わない男」稲垣啓太の笑顔は見られるか。南ア戦、勝利のカギを握る (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • photo by AFLO

 当時すでに、身長180cm・体重100kgを超える巨漢。兄が強豪・新潟工のラグビー部に入っていたため、そのコーチに「スクールに来てみないか」と誘われた。その後、兄と同じ新潟工に入ると、すぐに頭角を現す。高校2年時と3年時は花園に出場し、高校3年時にU20日本代表候補に選出されるほどの逸材だった。

 稲垣が恩師のひとりとして挙げるのが、新潟工の樋口猛監督である。

 稲垣の高校時代は体重130kg近くあり、現在よりも体格がさらに大きかった。稲垣がボールを持ったら、新潟県内で止められる選手はいなかったと言う。

 だが、監督は「おおざっぱなプレーをしていたら先に進めない」と何度も説き、基本的なプレーを稲垣に繰り返させた。「礎(いしずえ)がないと応用がない。高校生活で学んだことが僕の地盤を作っていると思います。非常にいい指導者に巡り会わせていただきました」(稲垣)。

 もうひとりの恩師は、関東学院大を指導していた春口廣監督だ。

 実は稲垣は、強豪大学のスポーツ推薦に受験者のなかで唯一落ちて、関東学院大に進学した経緯がある。今では自分の考えをしっかり伝える稲垣だが、大学時代は「話すのが得意ではなかった」と言う。それを克服させるべく、春口監督は自身の講演会に稲垣を連れて行き、突然「話してこい」と壇上に上がらせたこともあった。

 キャプテンとなった4年時には、1部だったチームを2部に落としてしまう苦い経験をした。ただ、その時も鍛えられたコミュニケーション力が生きた。「キャプテンになると、自分よがりではダメで、視野を広く持たないといけない。周りにいる人を見て、コミュニケーションを取って人の意見を取り入れて、人を動かすことができるようになりました」。

 大学卒業後、パナソニックワイルドナイツに入ると、稲垣の才能は一気に開花する。1年目から全試合に出場してトップリーグ優勝に大きく貢献し、新人賞とベスト15を受賞。ルーキーイヤーから6シーズン連続でベスト15に選ばれているのは、稲垣だけだ。

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