2019.10.14

ついにエース福岡堅樹が大爆発。
歴史的勝利に「すべて捧げてきた」

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

 福岡にとって、この大会はラグビー人生の集大成とみてもいい。努力が運を呼び寄せてきた。5歳の時、福岡県下のラグビージュニアスクールに入り、福岡県立福岡高校の時には全国大会に出場した。大学の医学部を目指すも失敗し、一浪のあと、筑波大に進学した。

 高校時代、両ひざのじん帯を負傷したが、一浪したことがラグビー選手としては幸いした。両ひざが完治し、ラグビーへの純粋な情熱が強まったのだ。2013年春、20歳で日本代表に抜てきされると、強じんな足腰と瞬発力を生かして、トライをとりまくった。

 その年の秋の欧州遠征のスコットランド戦では、この日と同じく2トライをマークした。衝撃を与えた。だが、15年の前回ラグビーW杯。唯一出場したスコットランド戦で大敗を喫した。挫折だった。いや良き経験だった。

 4年前のことを聞けば、福岡は「ここで勝つための糧だった」としみじみと漏らした。

「4年前があったから、こういう結果になったのかなと思います。チームとしては、(南アフリカの番狂わせなど3勝で)世界で戦えるんだという勝つ文化を根づかせてくれました。あのときの自信が大きくなって、この勝利につながったんです」

 素材は文句なしだ。50mを5秒台で走る。高校時代、ステップを切ったら、あまりにスピードがあったため、スパイクの中の足の裏の皮がはげたという逸話もある。素材を生かすため、からだを鍛え、走るフォームを改善したりもしてきた。ビデオで自身のプレーを必ず確認し、観察眼、状況判断も磨いてきた。

 真面目な男でもある。「才能」に加え、努力を継続する能力がある。試合翌日の14日朝、高校時代のラグビー部監督で、日本ラグビー協会の森重隆会長は教え子の爆発に「すごかね」と博多弁で声をはずませた。

「やっとで100%フルで走れたね。(福岡)ケンキはずっと頑張ってきたもの。瞬発力は昔から、すごかよ。メンタル面が変わったね。性格はマジメ、マジメ」

 森会長の記憶には忘れられないシーンがある。福岡が高校3年の時の菅平合宿。合宿最後の日の全員の記念撮影の際、ひざを故障して練習できなかったエースはひとり、悔しくて泣いていた。悔しさをバネにするのが福岡の人生なのだろう。

 スタジアムで観戦した森会長は、福岡たち日本代表に感謝した。「日本のラグビーが変わった瞬間じゃないの」

 福岡は、己の人生を真摯に生きる。医者だった祖父、父の影響から、自分も将来、医師になることを目指している。来年の東京オリンピック(7人制)が終わったらラグビーを辞め、医学の道に入るつもりだ。だから、ラグビーW杯は最後となる。福岡は打ち明ける。

「これ(W杯)がなかったら、もうラグビー、やめていました。僕は後悔をしたくない。ラグビーをやり切った時、笑顔ができるようなプレーをしたいんです」

 ついでにいえば、趣味はピアノで、試合の最中、頭の中でベートーベンの曲が流れることもあると口にしたことがある。モットーが、故スティーブ・ジョブス氏の『Stay Hungry, Stay Foolish(ハングリーであれ、愚か者であれ)』だ。愚直な努力を続け、日本ラグビーの新たな扉を開く一役を担った。

 さあ次は、準々決勝の南アフリカ戦(20日・東京)。トイメンは大会ナンバーワンWTBといわれる小柄なチェスリン・コルビだろう。両者のマッチアップに胸が騒ぐ。闘いはまだ終わりじゃない。スピードスターが、さらに加速する。

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