箕内拓郎が日本の熟成度に太鼓判。唯一不安はケガ時の組み合わせだ (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 長尾亜紀●写真 photo by Nagao aki

――代表チームのプライドを示す出来事はありませんか。

「チームのアティチュード(態度)が悪い時はすごく怒っていました。ワールドカップ前の最後の試合がポルトガル戦だったんです。国と国の試合ですが、練習試合みたいに選手の入れ替えが自由な試合でした。試合会場に行く前のホテルでのミーティングが始まる前に、雰囲気よくないな、試合に集中できていないなと思った瞬間でした。JKがストレッチポールを手に前に出てきて、それを振り回して大声で怒鳴ったんです」

――ストレッチポールって。

「ほら、タックルダミーの柱みたいなもので、背中でゴロゴロするやつです。オレが注意しないといけないのに、JKが怒ったんです。すごい剣幕でした」

――チームの目標は、フィジー戦、カナダ戦の2勝だったんですよね。

「僕は、"たら・れば"は言いたくないので。勝てなかったのは事実ですから」

――フィジー戦に勝てなかった理由は? 4年前の13-41からスコアは接近しました。

「ラスト20分から最後のワンプレーまで追い上げました。あとワントライだったんです。ラストワンプレーで勝てるかどうかまで来れたというのは、4年間の成長を感じました。代表というか、日本ラグビーとして。トップリーグの4年間があって、選手たちの経験がありました。ただ、あと少し。勝てなくて、勝ち切れなくて、悔しかった」

――あの大会、JKは2チーム制を採用しました。

「初戦のオーストラリア戦から2戦目のフィジー戦まで中3日でした。オーストラリア戦の23人、いや当時は22人かな。フィジー戦に出るメンバーがオーストラリア戦のリザーブに入っていましたが、ケガした隆道の代わりにマキリ(ハレ)が入ったくらいで、あとは変えませんでした。それほどまで(選手を温存)して、フィジー戦には勝ちにいったんです」

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