箕内拓郎がW杯で感じた最後の差「60分しかラグビーをできなかった」 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 長尾亜紀●写真 photo by Nagao aki

――チームスローガンは覚えていますか。

「これ、忘れていたら、向井さんに怒られますよ。"スピード・アタック"です。たしか向井さんのノートの表紙にスローガンのシールが貼ってあったんです。なんで、向井さんだけ、このシールを持っているんだろうってずっと思っていました」

――大会の準備はどうでしたか。

「春合宿を(オーストラリアの)タウンズビルでやりました。今と比べると比較にならないですけど、対戦相手の分析もやっていました。メンバーを発表して、網走で合宿して、そのあたりから、チームがすごくガチっとまとまるというか、チーム力が上がったのを感じましたね。これはもう、腹をくくってやらないといけないっていう覚悟ができました」

――箕内さん以外でからだを張る選手とは。

「この間、当時の試合の再放送をやっていたんですが、みんな、必死にやってるなと思いました。ブレイクダウンでも、アタックもタックルも。熱い選手が多かったです」

――箕内さんは年齢的には中堅でしたね。

「そうですね。上には元木由記雄さん、長谷川慎さんやタケさん(伊藤剛臣)、アンドリュー・ミラー、ジョージ・コニア、ジョンさん(松田努)がいました。リョウさん(山村亮)はまだ、大学生だった。僕らの世代では、(大久保)直弥や(大畑)大介がいて、ザワ(小野澤宏時)もがんばっていたし、バランスがとれていました」

――初戦のスコットランド戦(●11-32)では、一時は4点差まで迫りましたよね。

「はい。第2戦のフランス(●29-51)も1点差までいったんです。善戦という雰囲気はありましたが、この頃はチームとして、60分しかラグビーができなかったですね」

―そう、ラスト20分の壁がありました。

「これは、すごく覚えているんですけどね。ラスト20分です。とくに初戦、2戦目、向井さんの勝ちにいくプラン通りに60分間はいくんです。そこから、メンバーを入れ替えて、もう一回ギアを上げていこうとしても、変わらなかったんです」

――確かに強いチームはラスト20分でギアが上がります。

「相手の顔色を見ていて、しんどい中でも、ギアを上げようという時、全然、余裕があるんですよね」

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