大畑大介が認める日本代表の強さ「やべえ、どうしよう」の選択がない

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

レジェンドたちのRWC回顧録⑩ 1999年大会 大畑大介(後編)

 日本ラグビーのレジェンド、大畑大介さんにとって、1999年の第4回ラグビーワールドカップは「世界の壁」を知ることになった。平尾誠二監督(故人)率いる日本代表の戦力アップも、強豪国との格差は歴然としていた。

ラグビーW杯間近ということで、忙しい日々を送っている大畑大介ラグビーW杯間近ということで、忙しい日々を送っている大畑大介

 海外ではプロ化が急速に進み、日本とは力の差が生まれていた。3戦全敗。ただ、ウェールズ戦で大畑さんが一矢報いた鮮烈トライは当時、英国でも注目された。ウェールズの本拠地、カーディフ。ワールドカップ期間中の街の雰囲気を問えば、「もう最高でしたよ」と精かんな顔を崩した。

「朝起きて、(ホテルの)カーテンを開けた瞬間、もう街が真っ赤ですから。もう、なんやねん、これって。僕らが試合をする前から、人々が街に出ていて、こんなに試合を楽しみにしている人がいる。心がメチャメチャ踊りましたね」

 そうなのだ。1999年10月9日の土曜日、日本代表の2戦目のウェールズ戦の日。カーディフはウェールズ代表の愛称「レッド・ドラゴンズ」の呼び名通り、ウェールズ応援団の赤色の衣服で街路が埋められていた。そんな熱気にも「緊張はありませんでした」と笑顔で言葉を足した。

「(初戦の)サモア戦で心が壊れたんで...。弱いものが全部出たんです。だから、自分の中で、覚悟が決まった試合でした」

 試合後、カーディフの街を歩けば、「オオハタ~」とよく、声をかけられたそうだ。

「ウェールズ戦のトライを覚えてくれてたんですね。僕はキャラクターづくりというか、髪を長くしていたので、結構、僕のことを気付いてくれたんです。お土産屋さんでは、メッチャ割り引いてくれたり、お土産をもらえたりしました」

 大会に参加した国・協会の選手たちと開催国の人々の交流もまた、ワールドカップの持ち味のひとつだろう。「その大会が日本で行われるから、メチャメチャ楽しみです」と大畑さんは声を弾ませるのだった。

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