大畑大介のラグビーW杯の思い出「あるプレーでメチャメチャ怒られた」 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

――どんな大会でしたか。

「ほんと、悔しかったですね。自分にとって、すごく大きい大会でした。とてつもなくでかいワールドカップという金づちで頭を殴られたような気分でした。ガツンと」

――当時、大畑さんは23歳ですか。

「そうですね。自分にとっては、次の2003年大会がターゲットだったんです。そこに自分のピークをもっていこうと考えていました。ぼくは、1995年のワールドカップでは日本代表に絡むことすらなく、145点(日本代表17-145ニュージーランド代表)の試合を見た時、自分が選ばれもしない代表のすごい人たちがこんなひどい点数をとられるんだって。衝撃を受けたのをおぼえています」

――そのRWCの翌年の1996年、大畑さんは日本代表に選ばれました。

「はい。一気に駆け上がって、日本代表になったんです。だから、日本代表になる価値があまりわかっていなかった。一瞬にして日本代表になってしまったから、自分がどのレベルにいるのかわからなかったんです。2003年のワールドカップを狙っていたので、その前の1999年大会は出場しないといけないとは思っていたのですが。まだ本当の覚悟ができていなかった。世界の大きさを知らなかったのです」

――「切り札」として登場した平尾誠二監督(故人)率いる日本代表は、初の外国人主将のCTB(センター)アンドリュー・マコーミックほか、元ニュージーランド代表のSH(スクラムハーフ)グレアム・バショップ、NO.8ジェイミー・ジョセフ(現日本代表ヘッドコーチ)らで編成されていました。戦術の基盤が「リズムとテンポ」でした。初戦のサモア戦。日本は1トライも奪えず、9-43で完敗しました。

「自分では準備をしてきたと思っていたのですが、サモア戦でFB(フルバック)のジョンさん(松田努)がいきなりケガして、僕の中でもうパニックになってしまって...。自分ではどうしたらいいのかわからなくなってしまった。ハーフタイム、僕のあるプレーでジェイミーとバショップにメチャおこられたんです」

――どうしてですか。

「キックパスをしたんですよ。いまは攻撃の主流になっているかもしれませんが、"オマエはボールを持って走ってナンボやろ"って。お前を信頼してボールを託したのに、逃げのオプションを選択したって。バショップには、"もうオマエにはボールを渡さない"ってバシッと言われた。ワールドカップの重みとか、戦うことの意味を教えてもらいました。ラグビーは球技じゃねえよって。要は、ワールドカップは国と国の闘いなんだって。一瞬の気の緩みとか、スキですよね。真剣勝負の舞台でそれを相手に与えることがマイナスになっていくんだって」

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