堀越正己が語る145点の悪夢。
「ラグビーのことを話せなくなった」

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

レジェンドたちのRWC回顧録⑦ 1995年大会 堀越正己(前編)

 1995年ラグビーワールドカップ(RWC)南ア大会で日本は「悪夢」を見る。日本代表はニュージーランドに17-145と大敗を喫した。失ったトライが21本。トライ経過をメモする手が悲しさで震えていたのを思い出す。

現在は立正大ラグビー部監督などを務め、ラグビーの普及にも尽力している現在は立正大ラグビー部監督などを務め、ラグビーの普及にも尽力している

 あれから24年。その試合のリザーブだったスクラムハーフ(SH)堀越正己さんはもう、50歳となった。立正大ラグビー部監督として、7人制ラグビーのクラブチーム『ARUKAS KUMAGAYA』のゼネラルマネジャーとして、選手強化、育成、および地域にラグビーを広く普及する活動にあたっている。

 地元・熊谷で開かれるラグビーワールドカップ2019のPR役を担う埼玉ラグビーアンバサダーも務める。またテレビのコメンテーターとしても活躍している。

 7月某日。華やかな空気が流れるテレビ局ロビーのカフェで話を聞いた。気のせいかな、懐かしい顔がたくましく変わっていた。苦労した者ににじみ出る慈悲、心の強さが漂っている。

 ベタな質問ながら、1995年のRWCを色に例えれば、と聞けば、堀越さんは顔を曇らせ、ぼそっと答えた。

「灰色ですね。もう、本当にそうですね」

――あの大会、一番、印象に残っているのは、やはり1次リーグ第3戦のニュージーランド戦ですか。

「そうですね。あの試合は、先発で出たくてしょうがなかったんです。あの頃は、選手交代が認められていませんでした。だから、試合には出場していないんです。スタンドの前列あたりにずっと座っていました」

――目の前で信じられないような光景が展開されます。どんな思いで見ていましたか。

「"僕だったら、あの位置にいけるんじゃないかな"って考えたり、なぜ(相手を)止められないのかなって思ったりしていました。最初は吉田(明)と元木(由記雄)の両センター陣がドリフト(相手を内から外に追いやっていくディフェンス)でいくんですよ。でも、まったくふたりが相手に届かなくて、パス一本でピュッと抜かれてしまった。次はマーク・マーク(守備側が決められた相手選手をマークして攻撃を防ぐディフェンス)でいったら、相手はそれを見て、フルバックのグレン・オズボーンがスパンと入ってきて、もう追いつけない。試合の後に元木か吉田に聞いた話ですけど、こりゃだめだ、もうツメ(外側の選手が飛び出して相手の内側選手をつぶしにいくディンフェンス)だと。ツメでどんどんいくしかないと。でも、ぶつかったら(腰回りに)手が届かなかったそうです。今まで戦った相手とは違う感覚だったんでしょう。コンタクトスピードとか、太ももの太さとかの違いがあったんでしょうが、はじかれていたんです」

――いかんともしがたい状況だったんですね。

「まずパスで抜かれる。次はスピードで抜かれる。最後は当たってもはじき飛ばされる。いや、僕が出たら、何点差に抑えられたんだろうって勝手に思いました」

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る