無名高校→ラグビーW杯へ。
シンデレラボーイの進撃はどこまで続くか

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 また、PRというポジションはSHやHO(フッカー)と並んで、替えのきかない専門職とも言われている。W杯の最終スコッド31名のうち、右PRとして選ばれるのは3名と予想されるなか、24歳の具智元(グ・ジウォン)と経験豊富な山下裕史は、ほぼ当確だろう。木津は3つ目の枠を、突破力のあるヴァル アサエリ愛と争っている形だ。

 天理大を卒業した木津がトヨタ自動車でトップリーグデビューを飾ったのは、わずか10カ月前のこと。今年に入った段階で木津は、日本代表候補の合宿メンバーにもサンウルブズのメンバーにも招集されていなかった。

 そんな折、トップリーグ選抜の一員に選ばれた木津は、2月にフランスの強豪クラブ・クレルモンと対戦する機会を得る。

「(活躍すれば日本代表に呼ばれる)チャンスはあると思っていました。だから、短い時間でどのようにアピールするかを考えていた」

 各国の代表経験者が数多く在籍するクレルモンを相手に、木津はタックルの激しさやスクラムの強さをアピール。それが関係者の目に止まり、日本代表候補の合宿に初めて呼ばれることになった。そしてその後、ウルフパック5試合での活躍が認められ、宮崎合宿メンバーの切符を掴んだのである。

 プロ2年目で宮崎合宿に呼ばれ、一気に注目を集めるようになった木津だが、実は高校時代までは無名の存在だった。

 生まれは大分県由布市。小学校3年から中学校までは、剣道に打ち込んでいた。中学生ながら98kgの巨漢だったため、大分の日本文理大付属高からラグビー推薦の話もあったという。だが、木津は地元の由布高に進学し、ラグビー部の監督の勧誘に「おもしろいかな」と思い、興味本位で楕円球の門を叩いた。

 当時の木津は、「地元で消防士になりたい」と思っており、大学でラグビーを続けるつもりはなかったという。ただ、「剣道にはない魅力を感じた」と徐々にのめり込み、花園出場の経験がないながらラグビーの強豪・天理大に進学。すると、大学でのPR転向が、木津の才能を一気に開花させた。

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