「SH第3の男」を襲った不遇。W杯出場へ曲折を経た思いをぶつける (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 大阪生まれの茂野は、岬ラグビースポーツ少年団に所属していた兄・WTB(ウイング)洸気(こうき/NTTドコモ)の影響で、小学校3年時から競技を始めた。その後、江の川高校(現・石見智翠館)を経て大東文化大では主将を務め、大学卒業後にNECに入団。2015年には社内の留学生制度でニュージーランドにわたった。

 ニュージーランドで所属したのは、名門チームのポンソビークラブ。茂野は一軍の選手として活躍し、ニュージーランド国内のプロリーグITMカップ(現Mitre10カップ)でオークランド代表にも名を連ねた。

 ニュージーランでもとくにレベルの高いオークランド代表で、茂野は定位置を確保。カンタベリー代表とのITMカップ決勝戦にも先発を果たした。決勝の舞台に立ったのは、茂野が日本人初。ニュージーランドでプレーしたことのある田中もHO(フッカー)堀江翔らも経験していない快挙だ。

「ラグビー王国」で徐々に頭角を現すことに成功した茂野は、現在オールブラックスの主力となっている若手などと研鑽を積んできた。当時のことを茂野は、「球さばきも、フィジカルも、日本とは違いました」と振り返る。

 2016年、スーパーラグビー参入1年目のサンウルブズを率いることになったのは、ニュージーランド人指揮官のマーク・ハメットHC。彼からすれば、母国で出色の出来を見せている日本人選手を呼ばない理由はなかった。

 サンウルブズに呼ばれた茂野は、スーパーラグビー11試合に出場。その後、日本代表に選出された。同年6月、スコットランド代表戦で挙げた茂野のトライは、ワールドラグビーの「ベストトライ」にもノミネートされたほどだった。

 2017年、代表でもNECでもチームメイトだったSO(スタンドオフ)田村優がキヤノンに移籍したこともあり、自身もNECからトヨタ自動車に移籍を決断する。ところが、リーグの規定上必要な移籍承諾書が発行されず、2017年度はトップリーグでプレーすることは叶わなかった。その結果、2016年秋からジョセフHCが日本代表を率いることになったが、茂野は桜のジャージーから遠ざかることになった。

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