2度目のW杯を目指す33歳。サンウルブズ加入のFWの要は衰え知らず (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 そのなかで日本代表FW陣最年長となる山下は、もともと野球少年だった。そして、大阪・都島工業高でラグビーを始めると、京都産業大時代には「大学ナンバー1の右PR」と言われるまでに成長する。入団した神戸製鋼ではすぐに試合に出るようになり、2009年には代表初キャップを獲得。2012年に立ち上がった「エディー・ジャパン」でも、常に招集される主力選手のひとりとなった。

 2015年のW杯では、スコットランド戦やアメリカ戦に先発するなど、計4試合すべてに出場。歴史的勝利を挙げた南アフリカ戦でも後半途中から出場し、後半19分にFB(フルバック)五郎丸歩が決めたトライも、山下が相手選手にビッグタックルを浴びせて反則を誘った後のラインアウトから生まれたものだ。海外の専門サイトは山下の活躍を高く評価し、予選プールの「ベスト15」に選出している。

 しかしW杯直後、山下は「純粋に疲れがあった」と本音をこぼし、サンウルブズに参戦しなかった。ただ、2016年にはニュージーランドの強豪チーフスに加わる機会を得て、スーパーラグビー公式戦8試合に出場。日本出身FWとして初めてニュージーランドのスーパーラグビーチームでプレーし、ウェールズ代表との親善試合ではチーフスの一員として「ハカ」も踊った。

 ところが2016年の秋、ジェミー・ジョセフ体制が始まると、具智元(グ・ジウォン/ホンダ)やヴァル アサエリ愛(パナソニック)など若手PRの台頭もあり、山下がサンウルブズや日本代表に選ばれることはなかった。

 だが、山下は真摯にその現実を受け止めた。2019年W杯に出場する夢を叶えるべく、目の前の試合に集中し、「神戸製鋼でベストを尽くすことがすべて」と、高いパフォーマンスを維持することを心がけた。すると、その愚直なプレーが評価されて2015年W杯以来となる代表復帰を果たし、11月のニュージーランド代表戦では節目となる50キャップを獲得した。

 山下がプレーする背番号3の右PRは、まさにスクラムの要だ。両肩とも相手と組み合うため、右PRの強さがスクラムの出来を大きく左右する。

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