ラグビー早実で「二世」が活躍。異色の監督のもと花園を席巻できるか (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 この82シーズンぶりというのは、山口(山口)の持っていた64シーズンを抜く歴代最多ブランク記録である。早実が前回出場したのは1936年度。その年は1月に兵庫県西宮市の甲子園南運動場で大会が開催されていたため、早実が「花園」でプレーするのは初めてのことだ。

 一昨年や昨年も、早実は予選決勝まで駒を進めた。今年、「3度目の正直」で花園出場を決められた要因は何だったのか――。その出発点は、早稲田大との「高大連携」にあった。

 早実や早稲田大のOBでもある大谷寛ヘッドコーチ(HC)は就任5年目。それ以前は、早稲田大ラグビー部のジュニアチームのコーチを務めていた。ただ、常日頃から「早稲田大はなかなか人材を確保できない。そのためには系列校を強くしないといけない」と感じていたため、母校・早実の指揮を務めることを決めたという。

 就任早々、大谷HCは早稲田大からフィジカルコーチやフィットネストレーニングコーチを派遣してもらい、合同練習を重ねるようにもした。そうして練習環境を充実させていった大谷HCは、次に人材確保にも力を入れるようになる。早実に入れそうな中学生を探し、丁寧に声をかけていったのだ。

 入学にはスポーツ推薦もあるが、もちろん試験も行なわれるため、希望者の半数は不合格になってしまうという。ただ、徐々にラグビー経験者も集まり、今年の予選決勝では実に15名中7名が「親が早稲田大ラグビー部出身」という布陣だった。

 予選決勝の前半7分、スクラムからのスペシャルプレーでトライを挙げたWTB(ウイング)今駒有喜(3年)の父は、1987年度に日本選手権を制した時の早稲田大副将で元日本代表CTB(センター)の憲二氏。後半2分、インターセプトからトライを挙げたU17日本代表歴もあるFB(フルバック)小泉怜史(3年)の父・剛氏は、1988年度の控えSO(スタンドオフ)だ。

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