早大ラグビー部を描いた小説の作者が、
今の「パワハラ騒動」に思うこと

  • 藤島 大●文 text by Fujishima Dai
  • photo by Kyodo News

 昨今、スポーツ界でシリーズのごとくあらわになった不祥事、不行跡の裏には「強制を好み、強制する側のその人の第一歩に不忠実であり、他に対しては卑怯」な組織と個のあり方が隠れている。無垢な若者に非道のタックルを強いた監督だって、いちばん初めは純粋にアメリカンフットボールが好きだったのではあるまいか。いつしかクラブを、そこにいるひとりひとりの青春を私物化した。

 『北風』の時代、ラグビー部の練習場である東伏見グラウンドは、ピリピリとした緊張に支配されていた。走って、走って、また走る猛鍛錬。正式な練習の前とあとにも、しばしば厳しい特別訓練は行なわれた。出がらしの紅茶色のジャージィをまとった部員の姿は、湿地帯をさまよう敗残兵のようだった。大学の入試制度がスポーツ推薦を認めなかったので、高校時代、全国大会へ出場できたような者は少数。受験浪人経験が当たり前の無名で小柄な集団は、それなのに「日本一」をめざした。無理なくして凱歌もなかった。

 他方、暴力は皆無、私用に後輩を使うような文化はまさに嫌悪されていた。寮の共有部分の清掃や食事当番はキャプテンにも等しく回る。シーズンオフになると、ただでさえ希薄な上下関係は消滅した。日常の練習においても「強制」は繊細に取り除かれた。そもそも100名前後の部員に「ラグビーで入学した者」がいないので、やめたければ、あす、こないだけでよかった。退部したら、将来、早稲田をめざす母校の後輩に迷惑がかかるといった義理もない。退部を命ずることもありはしない。普通に練習しているだけで、どんどんやめた。入部希望者がグラウンドを訪ねてきたら、さっそく一緒に走った。

 これは社会の変化かもしれないが、現在とは異なり、大学生の活動、行動に親の影は薄かった。これは1990年代後半、筆者が、早稲田ラグビー部のコーチをしたとき、レギュラーとして初めて早明戦に出場した4年生は、母親がそのNHKの中継を見て、「あなた、こんなことしてたの」と驚いたと明かした。ジャージィの洗濯もあるので、高校からのスポーツを続けているくらいは気づくのだけれど、ここまで本格的とは想像できなかったらしい。つまりラグビー部に入るのも、やめるのも、家族とは関係なかった。

 延々と終わらぬ練習、グラウンド整備やボール磨きの日常は、不自由といえば不自由だ。しかし、ふと、根源の自由を感じた。まっすぐで濁りのない実力社会だったからだ。いかなる努力家でも、ラグビーの力が劣れば、簡単に報われない。うまいやつ、強いやつ、賢いやつ、元気なやつ、背がものすごく高いやつ、早明戦勝利、日本一のためだけに個は評価される。おしまいがくっきりしているので、みんな、そのためだけに生きる。言い訳やひいきのない世界は苦しくても自由だ。フェアなのである。負けてもほめられるより、負けたらほめられないほうがより自由だ。

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