36歳で緊急フル出場。トンプソン ルークの代表引退はもったいない (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 トンプソンは高校卒業後、ダブリンに1年間住んでいたこともあり、アイルランド代表が「特別な相手」だったこと、そして積み上げてきた63キャップのなかで一度もアイルランド代表と対戦したことがないことも背中を押した。

 2015年までワールドカップに3大会連続で出場しているトンプソンは、ニュージーランドの農場の息子として生まれる。父はラグビー選手、妹はネットボール(※)選手というスポーツ一家に育ち、小さいころからサッカーや13人制ラグビーをプレーしていた。そして13歳のとき、クライストチャーチの高校入学と同時に15人制ラグビーに専念。そこから頭角を現し、各年代の代表にも選ばれた。

※ネットボール=バスケットボールのルールを基準に、女性もプレーしやすいように改良されたスポーツ競技。

 しかし、同じポジションに「オールブラックス」の選手が大勢いたこともあり、スーパーラグビーのチームではなく日本行きを決断。2004年に三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック)に入部する。その後、出場機会を求めて2006年に近鉄ライナーズへ移籍。2008年にはチーム史上初となる外国人主将に就任し、2010年には日本国籍も取得した。大阪の水が合っていたようで、近鉄には現在まで11年間在籍している。

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