絵筆から楕円球へ。「花園」を駆けた白谷ドンジョとは何者なのか? (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 白谷は、父が人口500万人に満たない中央アフリカ共和国出身、母が日本人のハーフで、1歳から日本で暮らしている。中学校まではサッカーをしており、主にFWとしてプレーしていた。ただ、中学卒業後は「好きな絵を描きたい!」という強い思いから、応用デザイン科に美術コースのある県立の飯野高に進学。当初は、高校でスポーツをするつもりはなかったという。

 しかし、見るからにアスリートの体躯を持つ白谷を、ラグビー部の顧問が放っておくわけがなかった。「何もしなかったら体がなまってしまうぞ。絵を描くことを優先していいから」という言葉に誘われて、ラグビー部のドアを叩くことになる。

 すると、元サッカー少年は、みるみるうちに楕円球の虜になってしまった。「今までサッカーなどのスポーツをやってきましたが、気持ちを入れ過ぎるとボールをコントロールすることができなかった。だけど、ラグビーはタックルや、ボールを手で持って走るなど、自分の気持ちをそのまま出せる素晴らしいスポーツです」

 サッカーのスキルはさておき、ボールを手に持つことができ、ステップを切ってピッチを自在に走ることができるラグビーが、白谷に向いていたことは確かなようだ。BKとしては高い183cmの身長と快足が武器で、鈴鹿高との合同チーム「合同C」ではCTBとしてもプレーしていた。

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