我々に託された平尾誠二の遺志。
「2019」は成功させなければならない

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 2011年ワールドカップ第7回大会の地元開催に向けて、日本は招致活動を展開していた。2005年11月17日の深夜、東京・秩父宮ラグビー場にある日本ラグビー協会で、平尾は記者たちと吉報を待った。だが、日付が変わって届いたのは、「ニュージーランド決定」の知らせ。あのときの平尾が落胆した顔は、今も目に焼きついている。もちろん、2019年ワールドカップ第9回大会の日本開催が決まったときの歓喜の表情も。

 平尾に、日本で開催されるワールドカップを見せたかった。国際ラグビー評議会(現ワールドラグビー)当初の加盟国であるイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ以外で初めて行なわれる、記念すべき大会を見せたかった。

 日本ラグビー界は、貴重な舵取り役を失った。しかし、それでも「2019」は成功させなければならない。そのためにも、ファンも含め、この国でラグビーに携わるすべての人が平尾誠二の遺志を、ラグビーにかけた情熱を忘れずに受け継いでいこう。

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