我々に託された平尾誠二の遺志。
「2019」は成功させなければならない

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 大会後も平尾は監督を続投したが、2000年パシフィック・リム選手権で全敗。11月のヨーロッパ遠征でも惜敗すると、辞任を決意した。

 現場から離れることになったものの、平尾はさまざまな活動で多忙を極めるなか、「ラグビーを盛り上げるためなら」と、雑誌での連載企画を快く引き受けてくれた。私と『ぴあ』の編集者は毎月のように神戸まで通って1時間ほどインタビューし、ジャパンや社会人だけでなく、大学や高校の大会展望や見どころ、注目の選手などを語ってもらった。

 平尾は毎回、「わざわざ東京から神戸まで足を運んでくれてすまんね」と我々を労(ねぎら)い、ときには神戸牛のステーキやワインをご馳走してくれた。仕事である前にラグビーファンである私たちにとっては至福のとき。連載は不定期ながら、神戸製鋼の総監督兼GMに就任した2007年の春まで続けられた。

 平尾はラグビーの試合について語るとき、選手や監督に決してダメ出しをしなかった。好プレーを称え、勝者を祝福し、勝負の分け目となったプレーを的確に解説。たとえ選手がミスしても、ミスが生まれる状況を説き、自らの経験からアドバイスを送った。出しゃばらず、上から目線でもなく。常に、日本のラグビーを盛り上げるため、ファンがひとりでも多く試合に足を運んでくれるように、ラグビーの魅力を熱く語ってくれた。

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