【ラグビー】主将を歴任した廣瀬俊朗が「キャプテンシー」を語る (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text&photo by Saito Kenji

――そういった経験が「日本代表のキャプテン」にもつながったというわけですね。エディー・ジャパンの礎(いしずえ)を築き、2012年にはアウェーで初めて欧州勢に勝利。2013年にはキャプテンとしてウェールズ代表戦の勝利にも貢献しました。

廣瀬 東芝というチームで、キャプテンシーが醸成されたと思います。もちろん、中・高・大でキャプテンをやったからこそ、東芝、そして日本代表のキャプテンにも活きました。だから、今まで支えてきてくれた人たちに感謝しています。

――日本代表では2013年からFL(フランカー)リーチ マイケルがキャプテンとなりましたが、廣瀬さんはリーダーのひとりとしてチームを支え続けました。特にワールドカップでは「陰の主将」として、試合に出場できずとも3勝に貢献しました。

廣瀬 「陰の主将」という新しい言葉ができたのではないですかね(苦笑)。そうしないと、僕はチームのなかで生き残れなかった。そういう立場でワールドカップ日本代表メンバーの31人に入ったことが、面白いところだと思います。2007年も、「日本代表には廣瀬が必要」とメディアでは言われていましたが、ワールドカップには選ばれなかった。だから、メディアの言葉に耳を傾けることなく、チームのために何ができるかを考えて行動していましたね。

――現役生活30年で、もっとも思い出に残っている試合は?

廣瀬 やっぱり、ワールドカップじゃないですかね。勝ったからよけいに言えるのでしょうが、試合に出なくても、あれ以上の経験はない。初めてだったこともありますが、そこまでいいとは思っていなかった。(想像していたよりも)何十倍も素晴らしい大会なので、選手たちには出たいという気持ちを持って、チャレンジしてほしいですね。

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