エディー・ジャパン全57試合取材の記者が語る「英国での40日」

  • 斉藤健仁●文・写真 text & photo by Saito Kenji

 12日の午前中、現地に入って初の公式会見が行なわれた。どれだけ海外メディアが来るのか、楽しみにしていた。ところがフタを開けて見ると、私以外は日本のTV局が1社、新聞社が2社、通信社が1社、地元の新聞社が1社だった……。10人も満たない。今思えば、19日の開幕1週間前でも、現地での注目度はかなり低かった。この会見以降、「世界に日本もラグビーをしている国として、リスペクトされたい」と指揮官は強調し始めた。

 同日午後から、ブライトンでの練習が始まった。名門校の中にある囲いに覆われた練習場で、公開は最初の15分のみ。タックルバッグなどには「JAPAN」の文字。いよいよ始まったという感じだった。17日まで連日練習が行なわれ、いつになく選手たちの集中力は高かった。SH田中史朗の声は響き渡り、選手たちのプレーにもキレがあった。練習量を抑えたこともあった。「9月19日にピークを持っていく」といっていた指揮官の言葉は本当だった。

 17日、キックオフの48時間前にはついに初戦のメンバーが発表。この頃になると、日本の各メディアも渡英し、まるで日本にいるかのような雰囲気となった。18日、 前日練習の後の会見でCTBクレイグ・ウィングがケガのため、立川理道が先発に。ウィングはずっとケガをしており、コンビネーションに不安があった。個人的には立川でよかったと思った。SOには小野晃征がいたため、2人で十分にチームを動かすことができると見ていた。

 夜は開幕戦の取材でロンドンに行ったが、スタジアムの最寄り駅で人身事故が起き、宿に帰ったのは夜中の3時を回っていた。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る