【ラグビーW杯】過去7大会、ニッポン「桜の戦士」たちの軌跡 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji  photo by AFLO

 ただ、2003年の第5回・オーストラリア大会は、少しながら善戦を見せることができた。向井昭吾監督のもと、No.8(ナンバーエイト)箕内拓郎主将、FL(フランカー)大久保直弥副将、WTB(ウイング)大畑大介副将という、昭和50年度生まれの「同級生トリオ」のリーダー陣で挑んだ。初戦のスコットランド代表戦では11-15と4点差まで詰め寄り、最後は11-32で敗れたものの、地元紙からは「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と呼ばれるほどの奮闘を見せた。続くフランス代表戦も一時は1点差に迫るも敗戦。その後、フィジー代表とアメリカ代表にも惜敗し、W杯2勝目を挙げることはできなかった。

 2007年の第6回・フランス大会(一部ウェールズ&スコットランド)、2011年の第7回・ニュージーランド大会は、「オールブラックス」の伝説的WTBジョン・カーワンHCが指揮を執った。第6回大会は「2勝」を目標に、再びNo.8箕内が主将を務めた。確実に2勝するために「2チーム制」を採用したものの、オーストラリア代表、フィジー代表、ウェールズ代表に屈して予選プール敗退。だが、最終戦のカナダ代表戦では試合終了間際に12-12と同点に追いつき、予選プール5チーム中4位で大会を終了した。

 第7回大会は、No.8菊谷崇が主将を務めた。予選プール初戦のフランス代表戦では後半、4点差にまで迫ったものの21-47と突き放されて敗戦。2戦目のニュージーランド代表戦は7-83で完敗し、必勝を喫した3戦目のトンガ代表戦でも後手を踏んで18-31と3連敗した。最終戦のカナダ代表戦は、前回大会とは逆の展開となり、同点に追いつかれて23-23でノーサイド。またしても1勝が遠いW杯となってしまった。

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