【ラグビー】14年ぶりの優勝。
吉田義人監督はこうして明治を復活させた

  • 松瀬学●取材・文 text by Matsuse Manabu
  • 井田新輔●撮影 photo by Ida Shinsuke

 その原動力が、接点とスクラムである。特にブレイクダウン(タックル後のボール処理)。帝京大戦では防御の際、ジャッカル(相手のボール奪取)にこだわったが、早稲田相手には、ポイントを乗り越え、束となって重圧をかけ続けることに専念した。

 スクラムでは8人が結束して、鋭いヒットとチェース(足をかくこと)に徹した。とくに後半にメンバー交代で3番に入った須藤元樹が大きかった。あたりに低さと鋭さが加わった。これで後半32分、相手のスクラムのコラプシング(故意に崩すこと)で認定トライをもぎとった。

 交代といえば、後半の29分に入った4年生の古屋直樹が最後にトライを挙げた。微妙な判定も明治有利に作用した。何もかもがうまくいった。もっとも勝つときとはこういうものだ。

 吉田監督が苦笑する。

「最後、誰かが何かを持っていたのでしょう。早稲田に勝てない呪縛から、何か解き放たれたような気がします」

 歴史を振り返れば、1899(明治32)年創部の慶応に次ぎ、早稲田が1918(大正7)年、明治は1922(大正11)年に活動を開始した。そして1923(大正12)年12月24日、戸塚球場で第一回早明戦がおこなわれた。

 以来、幾星霜。第二次世界大戦の3年間をのぞき、両校の対決は続けられてきた。独自のスタイルとこだわり、コントラストがファンを魅了してきた。数々の名勝負を生み、無数の日本代表選手を輩出してきた。

 それぞれ浮き沈みがあれど、強烈なライバル心は不変である。吉田監督は就任時から、「明治の矜持」を口にした。1年目は「あいさつ、掃除、整理整頓」を大事にし、私生活の改善から指導していった。2年目はFW強化に入り、3年目では防御の整備に着手した。

 4年目の今年は、規律ある日常、きっちりした練習ができるようになった。細谷直ヘッドコーチが教えてくれた。

「今、明治の練習で一番いいのはスピードです。ひとつひとつ、動きを速くしている。パッと次のメニューに移る。歩く選手などいない。ゲームに似たようなスピードで練習をやっていこうと意識しています」

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