【ラグビー】震災から1年半。復興のシンボル、釜石SWの新シーズン (2ページ目)

  • 松瀬学●取材・文 text by Matsuse Manabu  志賀由佳●撮影 photo by Shiga Yuka

 ロック出場の伊藤も要所要所で好プレイを見せた。例えば、後半15分のロックのルイ・ラタのトライ。これは味方のパスが後ろにこぼれたボールを、伊藤が体を張ってセービングし、さっと立ち上がって運んだラックが基点だった。

 ロスタイム。伊藤はボールをもらいにいき、がむしゃらに突っ込んでいった。最後まで足は止まらなかった。フル出場。35-14で勝った。

「もうワンプレイワンプレイに必死でした。根っこには、ラグビーをやらせてもらっている幸せ感がありますから」

 プロ契約の伊藤は2月、神戸製鋼から戦力外通告を受けた。が、ラグビーへの情熱は消えず、4月、釜石SWに「押しかけトライアウト」で加わった。妻も娘も一緒に。

 いつも真っすぐである。ラグビーが好きで好きでたまらないのだ。もはやゼニカネの問題ではない。なぜ釜石SWだったのかといえば、昨年、同じような境遇で釜石SW入りした元日本代表の吉田尚史から"鉄と魚とラグビーの町"の魅力を聞いていたからである。

「それと、僕はラグビーをやる前から、新日鉄釜石(釜石SWの前身)のV7を知っていた。昨年の震災もあります。神戸で震災を経験している男として、ここぞ、最後の炎を燃やせる場所だと決めたのです」

 釜石はまだ、震災からの復興途上である。やっと町のがれきが片づいたとはいえ、多くの避難者が仮設住宅で生活する。人口4万人足らずのうち、千人以上が亡くなった。心の傷はいたるところに残っているだろう。

 釜石SWのゼネラルマネジャー、高橋善幸が説明する。

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