「ハリケーン・ヒラノ」の呼び名が誕生。平野美宇が中国トップ3撃破の衝撃 (2ページ目)

  • 栗田シメイ●取材・文 text by Kurita Shimei
  • photo by Kyodo News

 その武者修行の成果はすぐに表れた。大会中に17歳の誕生日を迎えたアジア選手権で、平野は女子卓球界の歴史を塗り替えることになる。

 大会序盤から強豪との連戦だった。それでも"攻撃卓球"へのモデルチェンジを模索する平野は、尻上がりに調子を上げていく。4回戦で台湾のエース・鄭怡静にストレート勝ちして勢いに乗り、準々決勝で中国の丁寧と対戦。当時世界ランキング1位の丁寧には、それまでシングルスで5戦5敗。1ゲームも奪えず、すべてストレート負けを喫していた難敵だった。

 試合はその相性の悪さを象徴するように、丁寧が早々と2ゲームを連取する。平野もラリー戦の強さを活かして対抗するが、強打の対応に苦しんだ。以前であれば、劣勢のまま敗れ去っていたかもしれないが、苦節を経験した平野の精神力はタフになっていた。

 第3ゲームは猛攻をしのぎ、11-9で初めて丁寧からゲームを奪って逆転の目をつなぐ。続く第4ゲームでは、先にマッチポイントを握られるも粘った末に奪取。そして最終5ゲームは、両ハンドドライブが効果的に決まり、これまで歯が立たなかった丁寧との接戦を制した。

 とくに第3、第4ゲームで、粘る平野に対して丁寧がミスを繰り返すという構図は、これまでの力関係の逆転を印象づけた。素質の高さに反して精神的にムラがあり、どこか脆さも感じさせた平野の姿はどこにもなかった。

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