森薗美咲、政崇、美月の壮絶卓球人生。「父は星一徹のように厳しかった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • 千葉格●写真 photo by Chiba Itaru

Tリーグの岡山リベッツに所属する森薗政崇Tリーグの岡山リベッツに所属する森薗政崇 政崇は、姉が厳しい指導を受けて卓球をしている様子を横で見ていた。

「僕が卓球を始めたのが4歳の誕生日からなんですけど、姉はその2年前からやっていました。父はボコボコにするのが当たり前、星一徹のような指導だったんで、僕は嫌だったんです。でも、気づいたらラケットを握らされていました。

 正直、卓球も父も嫌いでしたね。怖いし、やらされている感、満載です。ラケットを握った瞬間、号泣しながらやっていました。なんで、こんなに厳しい目に合いながらやるんだよって子どもながらに自問自答の日々でした」

 ふたりが誠の厳しい指導の下、卓球を始めた時、政崇の1歳下の美月はクラシックバレエやピアノなど自分のやりたことに集中していた。美月の父・稔は、卓球をやると親子関係を越えて厳しくやらざるをえないのを理解していたので、あえて卓球から娘を遠ざけていたのだ。

 だが、卓球一族に流れる血には抗(あらが)えなかった。

 東京に住む誠の家族は正月、愛媛の稔の家族と一緒に年越しをするのが通例になっていた。美月が6歳の時、美咲と政崇が愛媛にやってきた。稔は「1日休むと戻すのに3日かかる」というのが口癖なので、旅行に行く時も必ず卓球台がある場所に行っていた。この時もいつもどおり、美咲と政崇は正月休みもなく練習をしていた。休憩時間の合間、美月がラケットを持ち、遊んでいた。

「美咲ちゃんと政崇は真剣に練習をしていたんですけど、私はラケットの上にボールを載せて遊んでいた感じでした。でも、すごく楽しかったんです」

 美月は卓球に初めて触れ、今までの習い事とは違う楽しさを感じた。

 すぐに卓球を始めたいと思ったが、父は二刀流を許さなかった。卓球かクラシックバレエか。宝塚を目指していたので選択に迷いが生じたこともあった。しかし、ふたりが東京に戻って数カ月後、美月は父にすべての習い事をやめて卓球に専念することを伝えた。そして美咲や政崇と同様、鬼のように厳しい父の指導を受けることになったのである。

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