卓球界のレジェンド松下浩二。プロリーグ構想の原点は30年前にあった (2ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru

――ファルケンベリは、第3代国際卓球連盟会長で「ピンポン外交官」とも呼ばれた荻村伊智朗さんが、現役時代にコーチとして招かれたクラブですね。今年の春には世界選手権ハルムスタッド大会の開幕にあわせ、現地で日本との交流を祝うセレモニーも開催されました。

「荻村さんをはじめ、卓球界の先人たちがつないでくれた縁に感謝しなければいけません。ファルケンベリで初めて卓球のプロ選手たちと多くの時間を共有した経験は、僕の卓球観を変えてくれるほど衝撃的でした。チームメイトには前年のソウル五輪で男子シングルスの銅メダリストになったエリック・リンド選手もいたのですが、彼らのプロとしての意識の高さや振る舞い、練習への取り組み方は僕たちとはぜんぜん違ったし、プロとして得たお金で裕福な暮らしも手にしている。そしてそんな彼らを町の人たちが夢中で応援しているんです。

 ファルケンベリは人口2万人ぐらいの町ですが、町の人たちの日常に卓球が入り込んでいて、チームを応援することで彼らの人生も豊かになっている。卓球にはすごい力があることを実感し、日本でもこんな光景を見たいと強く思いました」

――ファルケンベリでの体験が、松下さんの新たなモチベーションにつながったんですね。

「そうです。Tリーグの誕生を僕の個人史と重ねれば、まさにこのときの体験がすべての原点です。1989年だったから、今からもう30年近くも前になります。その後も当時世界最高レベルのプロリーグだったドイツのブンデスリーガに挑戦したり、フランスリーグや中国の超級リーグでもプレーしました。

 もちろん、選手として競技力を高めたい気持ちもありましたが、それ以上に海外のプロリーグがどんな形で運営されているのか、どうやってリーグやチームは収益を得て、ファンとの交流を図っているのかといった点に興味がありました。いつか、日本にもプロリーグを作りたい。ファルケンベリで芽生えた夢をずっと抱き続けていたからです」

――数多くの「日本人初」となるキャリアのなかでも、ブンデスリーガ挑戦はその後の男子卓球界に大きな影響を与えました。自らの後を継いでドイツへ渡った水谷隼選手たちの成長、日本男子卓球界の躍進ぶりをどんな風に受け止めていますか。

「僕がブンデスリーガのボルシア・デュッセルドルフでプレーしたときの監督だったマリオ・アミリッジが、その後に日本のジュニアチームのコーチを務めることになり、そこで才能を見いだした隼や坂本竜介、岸川聖也らをドイツに招いたんです。国内にプロリーグがなく、強化システムもまだ整っていなかったなか、隼たちがドイツで経験したことは彼らの血肉になっていると思います。

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