日大アメフト事件。ラグビー大西先生の教えに思う「指導者の資質」 (2ページ目)

  • 松瀬学●文・写真 text & photo by Matsuse Manabu

――それを拒否したらどうなっていたと考えますか?

「どうなっていたかは、はっきりわからないですが、今後、ずっと練習には出られなくはなりたくなかった気持ちです」

 試合や練習に出られなくなる。そういう状況に追い込まれた20歳の学生の心中は察して余りある。

――監督はどういう存在だったのか。

「(学生の)『日本代表にはいくな』と言われても、『なぜですか』と意見を言えるような関係ではなかったと思います」

 それだけコワい存在だったということですか、と聞かれると、「はい」と小声で答えた。

 ここにコミュニケーションも信頼関係も、ない。強いカリスマ性とスパルタ指導で黄金時代を築いた故・篠竹幹夫監督の流れを汲む62歳の内田監督。絶対的な存在で、学生に対してのリスペクトが欠如していたのだろう。

 小生が大学時代にラグビーの指導を受けた故・大西鉄之祐先生は、日本代表も率いられた大監督でありながら、学生をリスペクトされていた。愛情を感じていた。

 戦争体験を持つ大西先生は自身の指導哲学を著した『闘争の倫理―スポーツの本源を問う』において、こう書かれている。

<何かアンフェアな行動をする前に、「ちょっと待てよ」とブレーキをかけることのできるような人間にする、そういう教育が重要ではないかと考えるのである>

<私がスポーツにおける闘争を教育上一番重要視するのは、例えばラグビーで今この敵の頭を蹴っていったならば勝てるというような場合、ちょっと待て、それはきたないことだ、と二律背反の心の葛藤を自分でコントロールできること、これがスポーツの最高の教育的価値ではないかと考えるからである>

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