ライバル選手がチームを組む難しさ。世界卓球で見えた日本男子の課題 (4ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • photo by Chiba Itaru/AFLO

 スウェーデンに卓球留学した経験があり、1983年に行なわれた世界選手権・東京大会で日本代表に名を連ねた織部幸治(ITS三鷹代表)は、「監督のウルフ・カールソンは、長い年月をかけて薄皮を一枚ずつ重ねるように選手の意識を変えていった」と語る。

「選手たちが、『自分が2本、あるいは1本とればいい』と考えていたら、チームの絆は生まれません。カールソンが積み重ねてきた思いを選手たちが根っこの部分で共有していたからこそ、メダルを獲れるレベルにまで個々の能力を高められたと思います。チーム力を向上させることが、個々の選手の力を引き上げることにつながっていく。今回のスウェーデンチームにはそんな力を感じました。それは日本チームにはないものでした」

ライバルがチームメイトになる団体戦で必要になるもの

「団体戦は、チームのことを考えて戦うので難しい」

 水谷がそんなコメントを残したのは、2006年のブレーメン大会である。当時、16歳だった日本卓球界のホープは、前年の上海大会(個人戦)で当時の世界ランク8位の荘智淵(ジュアン・ジーユエン/台湾)を破って鮮烈な世界デビューを飾っていた。しかし、初の団体戦となるブレーメン大会では疲労骨折していた影響もあって、自身は3戦3敗。チームは日本男子卓球史上最低の14位という屈辱を味わった。

 それから10年。張本も今大会終了後に「団体戦は難しい」と同じ思いをつぶやいたが、その背景はまったく違う。

 水谷が「ワールドツアーの予選を通過できただけで大騒ぎしていた」と振り返るように、十数年前の男子卓球界に求められたのは、個人が世界で戦える力をつけることだった。日本の男子団体は2008年の広州大会からメダルを獲得していくことになるのだが、その初期は水谷や岸川聖也といった一部の才能が卓球界を引っ張り、次世代の選手たちの成長を待つ時代でもあった。

 だが、今は違う。

 張本が初めての世界選手権団体戦で直面したのは、日本選手が世界のトップレベルで戦える個々の力をつけたうえでの「団体戦を戦う難しさ」である。

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