中国を震撼させた平野美宇。「マーベラス・ミウ」誕生までの道のり (2ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • photo by AFLO

 言うまでもなく、卓球は個人競技である。だが、平野の急成長を個人の曲折と研鑽だけで語ることはできない。

 7歳の時に全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)で優勝し、天才卓球少女と騒がれた平野の視線の先には、常に2人の先人がいた。日本の卓球界を長年にわたって引っ張ってきた福原愛(ANA)と、その背中を追い続けた石川佳純(全農)である。

 福原と石川は幼少期から上の世代に勝つことで「天才」の称号を手にしてきたが、平野の場合は違う。今大会の団体戦を共に戦って銀メダルを獲得した伊藤美誠(スターツSC/昇陽高)と、早田ひな(希望ヶ丘高)という同世代のライバルたちと常にしのぎを削りながら成長してきたのだ。世界的にも希有(けう)な才能が同世代に集まったことは、福原や石川という突出した個の才能が進むべきレールを敷いてくれたからだけではなく、日本の女子卓球界が積み上げてきたジュニア世代の育成システムが、ようやく実を結びつつあることの証左でもある。

 リオ五輪団体戦で銅メダルを獲得し、平野より先に陽の当たる場所に立った伊藤は「同じ世代に強い人がいっぱいいるので、国内で代表切符をとる戦いのほうが大変です」と語ったことがあるが、そうした同世代のライバルの存在こそが、今回の平野の急成長の背景にもある。

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