東京五輪メンバー落選、強豪から最下位チームへの移籍。バスケ辻直人が厳しい環境を選んだ理由 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 6月、広島は辻の移籍をリリースした。
 
 その頃、辻は東京五輪を戦うバスケットボール男子日本代表の一員としてプレーしていた。だが、7月5日、代表内定12名のなかに辻の名前はなかった。

「落ちるべくして落ちたなと思いました」

 代表合宿に入る前、辻は川崎の一員としてBリーグチャンピオンシップを戦っていた。セミファイナルで宇都宮ブレックスに敗れ、ファイナル進出を果たせなかった。

「ショックが大きかったですね。広島の移籍交渉が進んで、最後は川崎で優勝して終わりたいと思っていたんです。その思いが五輪よりも強かったので、負けて抜け殻のようになってしまって......。そのまま代表合宿に入ったんですけど、その状態を引きずってしまった。他の選手は自分が五輪の舞台に立つんだという気持ちがすごく強かったけど、自分は五輪で活躍している姿が想像できなかった。心技体がそろっていなかったので、落ちたのは当然だなって思っていました」

 合宿に参加して、プレーしていれば、自分がどの立ち位置にいるのか選手なら容易に理解できる。辻は、技術は足りていたが、五輪を戦うメンタルの準備が整わなかった。

「落ちて、これで本当に終わったんだと思うと、どこかホッとした思いもありました」

 チームを離れたが、東京五輪での日本代表の試合は見ていた。八村塁、渡邊雄太というNBAプレーヤーを擁する日本代表は、注目度が高く、期待感も大きかった。だが、世界の壁は厚く、グループリーグは3戦全敗に終わった。

「負けましたけど、数年前の日本代表とは比べものにならないくらいいい試合ができていたと思います。次のW杯では1勝はもちろん、予選リーグ突破とか夢じゃなくて、全然いけると思うんです。そのためにもBリーグのレベルをもっと上げていかないといけないですね」
 
 東京五輪の期間中、辻は広島のチーム練習に合流した。

 個人のレベルアップとチームを引っ張ることを責務として川崎から来たが、実際に来てみるとトップクラブとの環境の差の大きさに驚いた。チームには専用の練習コートがないので3、4か所の体育館をローテーションしていた。緊急事態宣言で体育館が閉鎖された時は、大学などの体育館を借りて練習した。冷暖房がなく、真夏の体育館での練習は辻曰く「高校生以来の過酷な環境」だった。練習できることに感謝しながらも「プロでありながら大変な経験をした」と言う。

「キツいですけど、環境が整っていないところで過ごす経験もプラスになると思うんです。今まで当たり前にできていたことが当たり前じゃないですし、こういうスタートだからこそ、よりクラブの環境や選手の価値とレベルを上げていきたいと思いました」

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