銀メダルを獲得した女子バスケの町田瑠唯。2、3番手から大活躍、それまで心が折れなかったのはなぜか。 (2ページ目)

  • 水野光博●取材・構成 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by JMPA

 町田の選手のキャリアは、同時にバスケットボールの常識に抗うことを意味した。身長は162cmまで伸びたものの、バスケット選手としては小柄な部類。リングが3.05mに設定されている以上、この競技が長身選手に有利なことは揺るがないからだ。

 北海道の名門・札幌山の手高校に進学する際も、現在所属する富士通レッドウェーブに入団する際も、周囲から「おまえは小さいんだから」「その身長でやれるのか?」と、彼女は反対されている。

 それでも、「小さくてもできる」と身長を理由に諦めることはなかった。

 町田は、ジェイソン・キッド、スティーブ・ナッシュ、トニー・パーカー、レイジョン・ロンドといったNBAでドリブルとパスを武器に活躍した小柄な名PG(ポイントガード)たちのプレーを参考にした。小柄な町田には、小学生の時からずっと胸に刻む言葉がある。マンガ『SLAM DUNK』の宮城リョータのセリフだ。

「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」

 2011年に富士通レッドウェーブに入団した町田は、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。2014-2015シーズンは、Wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)のベスト5にも初選出されている。日本代表にも選出されるようになり、2016年のリオデジャネイロ五輪ではベスト8に進出した。

 ただし、所属チームでの活躍とは裏腹に、代表での彼女は常に2番手、ないしは3番手のPG。主力とは言い難い存在だった。それは、2017年にトム・ホーバスがHCに就任し、東京五輪に向けてのメンバー選考が始まっても変わらなかった。町田が当時を振り返る。

「代表の選考が始まった時点で、私はたぶんギリギリのラインにいたんです。正直、五輪で自分がスターターになるとは思っていなかったです」

 町田がベンチを温めたのは、実力よりもホーバスHCの戦術によるところが大きかった。世界の高さに対抗するために、ホーバスHCが目指したのは、チーム全員がどこからでも点がとれるスタイル。特にオフェンスの起点となるPGには、より高い得点力を求めた。それゆえ、パサータイプのPGである町田は2番手、3番手に甘んじることとなる。

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