憧れはイチロー。宮澤夕貴がバスケ日本代表屈指のシューターとなるまで (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by MATSUO.K/AFLO SPORT

 期待に胸を膨らませて入部したが、すぐにトム・ホーバスコーチ(現・女子日本代表ヘッドコーチ)から「ワンハンドにしろ」と指摘を受けたという。

「身長もありましたし(181センチ)、ワンハンドのほうがツーハンドよりもシュートが安定するんですけど、全然届かなくて......。みんなが3ポイントやシューティングをしているのに、自分だけゴールの下で黙々とワンハンドシュートの練習をしていました」

 コツコツと努力を重ね、3年目にはミドルシュートの確率が上がり、5年目には3ポイントシュートをマスターした。今では、3ポイントは宮澤の代名詞にもなっている。

「3ポイントは相手が一番怖がるし、自分の武器ですよね。3ポイントがあることで相手が出てくるし、そこでドリブルしてシュートを狙う」

 攻撃力を高め、2015年にはWリーグのベスト5に選出。そして2016年には大きなターニングポイントとなる大会を経験する。それがリオ五輪である。

 この年のシーズン、宮澤はリーグ戦でなかなか試合に出場できず、パフォーマンスも満足するものが出せていなかった。

「(代表)メンバーから落ちるだろうな......」

 そう思っていた宮澤だったが、代表に選出された。試合に出て活躍していた選手が落選し、涙を流している姿を見ると、宮澤の気持ちに大きな変化が生じた。

「最初は『あっ、選ばれちゃった』という感じだったんです。でも、落選した選手の涙を見て、『そんな気持ちじゃダメだ』って。その時、自覚と責任というのが自分のなかで芽生えてきました」

 リオ五輪では6試合中、宮澤が出場したのはグループリーグのブラジル戦と準々決勝のアメリカ戦の2試合に終わった。試合にはあまり絡めなかったが、リオ五輪を経験したことで自分の意識が変わったことを実感したという。

「『自分がやらなきゃ』って思いましたし、目標をしっかり考えられるようになりました。プレーでもその頃から3ポイントを積極的に打ち始めるようになって......」

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