奇跡の集結から29年。初代「ドリームチーム」12人たちの今(後編) (4ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka
  • photo by AFLO

 セント・ジョーンズ大のヘッドコーチ職を辞任したのは、兄を病気で亡くしてしまったことが理由と言われる。マリンは現在、北カリフォルニアへ戻ってウォリアーズの試合のテレビ解説者として活動している。近い将来、再びNBA球団の要職に就くのではないだろうか。

 初代ドリームチーム誕生から29年が経ち、当時のNBAのスター選手を知らない世代も増えてきた。だが、物事は年月が経って当時を知らない人が増えてくると、反対に歴史的な価値が深まるものだ。本当ならば今回紹介した3名だけではなく12人全員の「今」を書きたかったが長くなるので、触れていない残りのメンバーについてはさらりと言及しておく。

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 パトリック・ユーイングと両輪のセンターを務めたチーム最長身216cmのデビッド・ロビンソンは、1996年のアトランタ五輪にも出場して金メダルを獲得。その後、2度のNBA優勝を経験し、2003年の引退後は不動産や投資管理を手掛ける企業グループに関わっている。

 マジックとともにNBAで一時代を築いたバードは、先述のとおりペイサーズでヘッドコーチを務めた。1998年には最優秀コーチ賞も受賞。その後はペイサーズの球団社長を担い、現在は相談役となっている。2019年にはマジックとともにNBAからリーグ功労賞が授与された。

 ジョーダンの相棒としてスターとなったスコッティ・ピッペンは、シカゴ・ブルズで6度の優勝を果たしたあと、ヒューストン・ロケッツやポートランド・トレイルブレイザーズにも在籍したことは知られている。しかし1度引退したあと、2008年に42歳で現役復帰を果たし、フィンランドやスウェーデンで短期間ながらプレーした。近年はブルズでPR大使や相談役を担っていたが、昨年辞任している。

 ジョーダンと同じシューティングガードだったということもあり、しばしば比較の対象だったクライド・ドレクスラーは1998年に選手生活を終えたあと、母校ヒューストン大のヘッドコーチを2年間務め、その後はロケッツのテレビ解説を担いつつ、ヒューストンを中心にレストランや不動産経営に注力している。2018年には著名ラッパーのアイスキューブ氏らが創設して元NBA選手らも参戦するプロ3人制バスケットボールリーグ「ビッグ3」のコミッショナーに就任した。

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