奇跡の集結から29年。初代「ドリームチーム」12人たちの今(前編) (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka
  • photo by Getty Images

 ただその一方で、今もバスケットボールに直接的に関わっている者たちもいる。最たる例は、パトリック・ユーイングだ。

 ユーイングは1980年代半ばから17年間、NBAで活躍した当時を代表するセンターだった。1985年のドラフト全体1番目指名でニューヨーク・ニックスから指名された213cmのユーイングは、チームを13年連続でポストシーズンに導き、1993−94年シーズンにはNBAファイナルにも出場している。

 ところがユーイングのキャリアは、どこか「不運だった」という印象で語られることが多い。それはもっぱら、同じくイースタン・カンファレンスのライバル、ジョーダン率いるブルズにいつもNBAファイナル行きを阻まれていたからだ。

 プロ入り前のジョージタウン大在籍時にまでさかのぼれば、ユーイングは4年間で全米優勝決定戦に3度も出場しながら、勝利したのは1度だけ。2度の敗戦のなかにはジョーダンに終了間際からシュートを決められた試合も含まれている。とことんジョーダンにやられたキャリアだったと言える。

 先述のNBAファイナルでも、対戦相手ヒューストン・ロケッツのエース、アキーム・オラジュワンとのリーグ屈指のセンター対決に敗れ、やはりトップ中のトップには立てないという印象が植えつけられた。

 そんな過去が彼の引退後のキャリアに影響したかどうかはわからないが、ユーイングは現在、母校ジョージタウン大のヘッドコーチを務めている。これ以前、彼はオーランド・マジックやシャーロット・ボブキャッツでアシスタントコーチを担い、その後はヘッドコーチとなるためデトロイト・ピストンズ等で面接を受けるところまで行っていた。だが、選考の最終段階まで進むことはできなかった。

 ユーイングだけでなく、現役時代にセンターなどインサイドのポジションでプレーした人物が指揮官職を得る例は非常に少ない。NBAあるいはそれ以外のリーグでも、多くはガード出身者がその仕事を得ている。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る