ドリームチーム誕生秘話。「奇跡の12人」が集結した、知られざる真実 (3ページ目)

  • 青木崇●取材・文 text by Aoki Takashi
  • photo by AFLO

 そこで、両者と親交の深いマジックが動いた。

 ジョーダンとアイザイアの折り合いをつけられる人物は、マジックしかいない。自身が主催したチャリティーゲームでマジックは、ジョーダンの横で「オリンピックでプレーしてくれるなら、僕がお金を出してもいい」と、冗談を交えながら何度も説得したのである。

 だが、その行動は逆に、少年時代からの親友だったアイザイアとの関係を悪化させた。しかしマジックは平然と答える。

「デトロイトのプレースタイルが、アイザイアと私との関係をすでに悪くしていたんだ。彼らを倒すには、憎悪を持たないとダメだったから」

 マジックがいたロサンゼルス・レイカーズは1988年と1989年のNBAファイナルでピストンズと対戦し、すでに関係がこじれていたことも、ジョーダン説得への前向きな要因となっていた。

 この動きに伴い、アイザイアをプッシュする雰囲気が協会内になくなり、選考委員会も次第とアイザイアを外す方向へと流れていった。こうしてようやく1本となったマジック、ジョーダン、バードの「ビッグ3」。しかしドリームチーム誕生には、これからさらに多くの難題が待ち受けていたのである。
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 1991年11月7日、ドリームチームに衝撃が走った。マジックが緊急記者会見を開くと、HIVウィルスに感染したことを公表し、NBAから引退することになったのだ。

「オリンピックはどうなるのか?」という質問が出ても、マジックは無言だった。しかしオリンピックに出たいという意欲は、ドリームチームの誰よりも強い。マジックは治療を受けながらも、トレーニングをひとり欠かさずに続けていった。

 引退しながらもファン投票でオールスターに選ばれたマジックは、NBAの特別措置によって1日限りの復帰が実現した。ドリームチームのヘッドコーチに就任したチャック・デイリーは「マジックはプレーできるのか?」という思いがあったという。だが、全盛期を彷彿させるプレーの連続で、文句なしのMVPに輝いたことを目にすると、その不安は払拭されていった。

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