ドリームチーム誕生秘話。「奇跡の12人」が集結した、知られざる真実 (2ページ目)

  • 青木崇●取材・文 text by Aoki Takashi
  • photo by AFLO

 その宣言から5カ月後、USAのユニフォームを着たマジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレー、カール・マローン、パトリック・ユーイングが『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙を飾った。見出しに「ドリームチーム」の文字が並んだことで、全米のスポーツファンは新たな歴史の誕生を感じずにはいられなかった。
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 この表紙を飾るまでに、NBAのGMを中心に13人で構成された選考委員会は、あらゆる方面からプレーヤーの説得に努力した。1980年代後半から国際化を目指し始めたNBAにとって、誰もが認める3人のスーパースター「マジック」「ラリー・バード」「ジョーダン」を何としてでもメンバーに入れるよう、ナイキを含めた大手企業や高い視聴率獲得を目論むNBCを使って口説き落とそうとしたのだ。

 マジックはNBAや企業の思惑など、まったく関係なかった。「国のためにプレーすることは、NBAでチャンピオンシップを獲得する以上に大きな意味がある」と、選考委員会の申し出をすぐに了承。ドリームチーム結成のリーダーとして手を上げた。

 そしてバードも、万全の体調ではないもののマジックの熱意により快諾。交渉は順調かと思えた。しかしジョーダンだけは、オリンピック出場に難色を示したままだった。

 ジョーダンはノースカロライナ大学時代の1984年、ロサンゼルス・オリンピックに出場しており、ユーイングやクリス・マリンとともに金メダルを獲得。オリンピックに出ることへの意義を感じられずにいたのだ。

 また、メンバー候補である宿敵デトロイト・ピストンズのエース、アイザイア・トーマスの存在も障害となった。

 エージェントのデビッド・フォークが「完全に冷え切っている」と語るぐらい、ジョーダンとアイザイアの関係は最悪だった。1985年のオールスターゲームで、アイザイアがルーキーのジョーダンにボールを回さないという策略を企てたと思い込むようになって以来、嫌悪感を強くしていたのだ。

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