ジョーダンとの「ラストダンス」。神様と1on1をした日本人選手の物語 (3ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO


 このイベントの大トリとして企画されたのが、ジョーダンとKJ少年の1on1だった。この大役に彼が指名されたのには、前日譚がある。

 1992年、バルセロナ・オリンピックが開催され、ジョーダンを筆頭にNBAのスター軍団が"ドリームチーム"として出場。平均44点差という圧勝劇を演じ、アメリカが金メダルを獲得した。

 このドリームチームが世界中に与えた衝撃は大きい。トニー・パーカー(フランス)、ダーク・ノビツキー(ドイツ)、パウ・ガソル(スペイン)、マヌ・ジノビリ(アルゼンチン)といった、その後NBAで活躍することになるアメリカ以外の国の出身プレーヤーたちは、ドリームチームに影響を受けたと口を揃える。

 世界中のケイジャー(バスケットボールプレーヤー)に夢を見せたのが、ドリームチームであり、マイケル・ジョーダンだった。

 そして、遠くアジアでも、その影響を受けたひとりがKJだった。

「正確に言うと、ドリームチームを見て最初に影響を受けたのは父でした。ジョーダンのプレーを見て、僕に『バスケをやってみないか?』と勧めたんです。僕自身、バスケを始めてすぐに面白くなって、ジョーダンに憧れるようになりました」

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