W杯でドリームチーム結成へ。渡邊雄太は日本代表に合流できるのか (3ページ目)

  • 大島和人●取材・文 text by Oshima Kazuto
  • 松岡健三郎●写真 photo by Matsuoka Kenzaburo

 今さらアピールの必要がない大物ならばオフは旅行しようが、ビジネスをしようが自由だろう。しかし、日本人ルーキーはNBAの当落線上にいた。

 日本代表のW杯出場は重要だが、渡邊のNBA定着も日本バスケにとっては悲願だ。彼はNBA挑戦と両立して、確保し得るぎりぎりの時間を割き、9月の2試合に参戦していた。チームへの合流はカザフスタン戦の3日前。それを含めて考えると「ぶっつけ本番でよくやった」という感慨が湧いてくる。

 また、NBAとFIBAの公式戦ではボールも違う()。彼はFIBAの公式球に慣れるために、代表参加時にはこんな努力もしている。渡邊はこう説明していた。
※NBAはボールのサイズが少し小さいことや、1クォーターのプレー時間がFIBAより2分長いことなど

「今回は部屋にいる時もずっとボールを触って、移動する時もずっとボールを持っていた」

 イラン戦当日、大田区総合体育館の廊下でボールをつく彼を見て不思議に思ったが、限られた時間で適応する必死の努力だった。

 2006年のワールドカップ日本大会で、当時のヘッドコーチ(HC)であるジェリコ・パブリセヴィッチ氏は、当時NBA挑戦をしていた田臥勇太の招集を拒否した。同年の田臥はNBAのサマーリーグ、その後は下部リーグでプレーして、18年の渡邊と似た状況だった。田臥は連係を重視する指揮官の判断で、W杯のメンバーに入らなかった。一方でフリオ・ラマス現日本代表HCは渡邊の参加を受け入れた。渡邊の努力もあり、短い準備期間で戦力化に成功した。

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