竹内譲次は2006年の後悔を糧に進化中。「W杯が日本バスケの分岐点」 (2ページ目)

  • 小永吉陽子●取材・文・写真 text&photo by Konagayoshi Yoko

――当時、竹内選手は大学4年生でしたが、我を出すことは難しかったですか?

 大学4年生で世界選手権に出させてもらいましたが、あの頃は世界と戦うことの重さや、日本を代表することに対し、なかなか強い気持ちを持てなかったのが正直なところです。それでも、もっと上のレベルの選手へ成長したいという気持ちはあったのですが、上に行くにはどうすればいいのか、という漠然とした思いがあって、自分の中で突き詰めて考えられなかった。実際に戦ってみて、世界とはすごく差がありました。

――世界の舞台で感じた差とは?

 大会のために海外遠征もたくさんしましたし、練習もしましたけど、実際の大会はNBA選手もいたり、フィジカルの激しさは別世界の人間と戦っているようでした。そういった選手が目の前にいたときに、どうアプローチをすればいいかまでは考えられていなかったです。

――当時は選手だけでなく、日本のバスケ界全体が世界と戦う経験に乏しかったので、その苦い経験は伝えていかなければなりません。竹内選手から今の若手に言えることがあるとすれば?

 先ほど「我」を出す話をしましたけど、日本が勝つためにも個人のレベルアップは必要だと思います。今は昔と違って個人を鍛えるために若いときから海外でプレーする選手も増えたし、意識の高い選手が大勢います。サッカーを見てもワールドカップや国際大会で活躍することで、世界のビッグクラブと契約したりするじゃないですか。今の若い選手はそういうことができる可能性がある。アルバルクの後輩の馬場(雄大)や(シェーファー)アヴィ(幸樹)、また下の世代の選手には、日本代表ではいい意味で我を出して、自分を売る場として意識したほうがいいと伝えたいです。

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