田臥勇太と渡邊雄太。細い糸でつながる「NBAプレーヤー」の系譜 (2ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 渡邊が高校3年生の時、アメリカに進学するべきか悩んでいた際、渡邊の父に田臥は電話でこう伝え、その背中を押している。

「絶対に行かせてください」

 能代工業卒業後、2000年にブリガムヤング大に留学している田臥は、アメリカでプレーする日本人選手のパイオニア的な存在だ。

 ただ、田臥が渡邊の背中を押したように、田臥の背中を押した日本人がいる。それが、アメリカの高校に留学していた伊藤拓摩だ。伊藤はアルバルク東京のヘッドコーチを務めるなどして、現在はGリーグのテキサス・レジェンズでコーチ修行をしている。ひと足先に留学していた伊藤から、田臥はアメリカ留学を決断する際にアドバイスを受けていた。

 その後、アメリカの高校に渡ったのが、現在シーホース三河でプレーする松井啓十郎(SG)であり、伊藤拓摩の弟、滋賀レイクスターズでプレーする伊藤大司(PG)らだ。

 以前は、バスケットボールでアメリカ留学するハードルは極めて高かった。先人たちの成功や失敗、さまざまな経験が、後を追う者たちのヒントやノウハウとなっている。そしてその系譜のなかに、田臥も、渡邊もいる。

 月日とともにアメリカの高校や大学へ進学する選手は増え、2008年からは『SLAM DUNK』の著者・井上雄彦氏によって「スラムダンク奨学金」が創設され、ほぼ毎年、選手をプレップスクール(大学進学のための準備学校)へ派遣している。

 2016年には八村塁が名門ゴンザガ大へ進学し、3年生となった今季、NBAドラフト上位指名が現実味を帯びるまでに成長を遂げた。また今年は、史上最年少の15歳で日本代表候補に選出された田中力がIMGアカデミーに進学している。

 能力と強い意志があれば、アメリカへ渡るハードルは間違いなく、以前ほど高くはない。

 ただ、もちろん、アメリカの空気を吸うだけで高く跳べるわけではない。

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