渡邊雄太と八村塁が挑んだ11日間。2人の融合で崖っぷちから前進 (3ページ目)

  • 小永吉陽子●取材・文・写真 text&photo by Konagayosi Yoko

 今回、渡邊と八村の合流はたったの11日間だった。11日といっても移動と試合が含まれるため、チーム練習をしたのはそれよりも少ない。渡邊は夏の帰国の際に日本代表に一時合流していたが、チーム練習を行ったのは3日のみ。その後アメリカに渡り、9月9日の深夜にメンフィスから3回も飛行機を乗り継いでカザフスタンへと到着、時差がある中で活動を開始した。

 八村は9月上旬まで大学に通い、6日にカザフスタンに入る前の遠征先の韓国で合流、翌7日からチーム練習を開始している。そんな短期間で戦術を理解するために、彼らは準備を怠らなかった。

 渡邊はNBAとFIBAの公式球が違うことから、一刻も早くにボールに慣れるために、練習以外でも常にボールを手にしていた。起きてから寝るまでボールを触りながら過ごし、移動するバスの中ではボールを抱え、ハーフタイムにはドリブルをしながら控室に戻り、カザフスタンではボールを手にしてインタビューの場に現れた。「できる限りのことは全部やって臨みたい」という一心から取った行動だった。

 また、代表における自分の役割をいち早く理解したことも大きな要因である。「大学時代から相手のエースを抑えてきた」というプライドを持つディフェンスは、後半にイランの得点源であるベフナム・ヤクチャリを封じる重責を果たした。このヤクチャリを含むイランの主力3選手は、渡邊が高3のときU18アジア選手権の3位決定戦で対戦した相手だ。

 そのとき日本は惜しくも4点差で敗れてワールドカップの権利を得ることができなかった。試合後に渡邊は「絶対に日本代表で通用する選手になります」と号泣しながら誓い、高校卒業後に渡米する決意にもつながっている。その涙から6年の月日が流れ、代表選手としての初対決でヤクチャリを抑えたことは、渡邊にとってはリベンジを果たしたことにもなる。

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