延岡学園バスケ暴行事件。
単純ではないアフリカ留学生の「光と陰」

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by Getty Images

 そこで、まずは高校バスケの留学生の歴史を簡単に紐解きたい。

 1990年代から、長身の中国人留学生は全国の強豪チームに散見された。

 2000年代になると、まずはセネガル人留学生の台頭が目立つようになる。今回問題となっている延岡学園は、2003年に207cmのママドゥ・ジェイ(※2013年に日本国籍取得)を擁し、全国大会に出場。アフリカ人留学生受け入れの先駆け的存在でもあった。

 その後、九州の高校などを中心に、徐々にアフリカ出身の留学生の受け入れが進み、その流れが全国にも広がっていく。

 名門・能代(のしろ)工業がウインターカップで最後に優勝したのが2004年、インターハイで最後に優勝したのが2007年であることからも、200cmを超す長身かつ身体能力も高い留学生の出現が勢力図を塗り替え、能代が勝てなくなった一因であるとも推測できる。

 留学生の受け入れにより飛躍的にチーム力を向上させた高校が現れる一方で、さまざまな問題もあった。2004年のインターハイで優勝した福岡第一のセネガル人留学生の年齢詐称が発覚し、優勝が取り消されたことも、そのひとつだろう。

 セネガル人留学生が急増したころ、「ブローカーに払う金額で留学生のランクが決まる」と揶揄(やゆ)されたこともある。日本語がまったくできない状態で来日し、身長こそ高いがバスケ未経験、うまくコミュニケーションがとれず友達もできず、日本文化にも馴染めず、なかには問題を起こしてすぐに帰国する留学生もいたとも言われている。

 時代は流れ、今ではセネガルだけでなく、マリやコンゴなど、より多くの国から留学生が来日している。留学生を受け入れる高校も増え続け、特に強豪県以外の新設校などは、優秀な留学生がひとりいれば、いきなり全国大会に進出することも夢ではないため、留学生の受け入れにより積極的な傾向があるように思える。ある県では、昨年初めて留学生を受け入れたチームが県で上位に進出。慌てたライバル校も留学生の受け入れを始めたということも起こっている。

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